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2016年は私の音楽的特異点だった

   Suchmosがついに活動再開の狼煙を上げたことを筆頭に、最近私の好きな音楽家たちの活動がまた盛り上がってきた。バンド活動を休止していたYogee New Wavesが久しぶりにバンドセットでライブをしたり、Tempalayが武道館ライブを成功させたり、メンバーの増減とか何とか色々ありつつも、"あの頃"に知ったバンドたちがまだ私をワクワクさせてくれている。

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   2016年は私の音楽的特異点ともいえる時代だった。そのとき、私は大学1回生で、音楽サークルに入った。そこで、今まで聴いていた音楽とは全く違う音楽を知ることになった。

   ---それより少し前の話をする。

   私が高校生のときといえば、時代的にもいわゆる邦ロック的音楽全盛期で、例に漏れず私もその一員となっていた。
   高校2年の時に初めて音楽フェスに行ったことがひとつの転換期だったようにも思う。当時聴いていたバンドといえば、KEYTALK、キュウソネコカミ、THE ORAL CIGARETTES、KANA-BOON、SHISHAMOとか。今でも活動を続けるバンドばかりだが、ちょうどこれらのバンドが勃興してきていた時代だった。
   旬なバンドといえば少し過ぎた感はあるが、この時点で既にある程度の地位を確立していたバンドに、ASIAN KUNG-FU GENERATION、マキシマムザホルモン、クリープハイプ、アルカラ、Base Ball Bearなどがいた。これらのバンドも、ちょうど邦ロック全盛シーンの中で名を成していた。当時はフェスのラインナップを見れば彼らのような安心の顔ぶれで埋まっていた。今ではベテランの域にまで到達しているバンドばかりだ。

   邦ロック全盛期のこれらの音楽が、今にまで連なる私の音楽的趣向を形作ったのはいうまでもない。

   そして来たる2016年、邦ロックしか知らなかった私の中の扉がまた新たに開かれる。

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   Suchmos、Ykiki Beat、Yogee New Waves、never young beach、D.A.N.、Tempalay、TENDOUJI、DATS、Nulbarich、ドミコ、MONO NO AWARE、CHAI、フレンズ、Helsinki Lambda Club、King Gnu、モノンクル、TENDRE、cero、片想い、LUCKY TAPES、SANABAGUN...etc

   上に挙げたアーティストは、私が2016年に知ったアーティストの一例である。見ての通り、ジャンルも音楽性もてんでバラバラだ。(2016年に有名になったわけではないアーティストも含まれている)
 ではなぜ2016年が私の音楽的特異点になったかというと、これらの音楽たちが「私が聴いたことのない音楽であった」ということに尽きる。
 

   聴いたことのない音楽だったといっても、音楽バンドなんて大抵はギターを持ったボーカルがいて、ベースとドラムがいて、たまにシンセサイザーとかが入ってて、みたいな編成が普通だ。編成がありえないほど目新しいとか、聴いた瞬間常識が崩れ落ちるかのように新世界が拓ける音楽だったとか、そういう大袈裟なことではない。

   なんていうか、俗っぽく言ってしまうと「オシャレ」だった。使い古された言葉で無理やり溜飲を下げるのならば、結局そういうことなのかもしれない。邦ロック全盛期にいた私が「カッコイイ」ならば、2016年は私が「オシャレ」になった年だった。オシャレな音楽というのを初めて知った。

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   2016年、大学1回生だった私は音楽サークルに入り、先輩たちからいろんな音楽を勧められる中で、「こんな新しい音楽を知っている人、今までどこにいたんだ」ということに衝撃を受けた。まるで、目の前の薄い壁の向こうにあった新世界に手を伸ばすどころか目を背けてしまっていたような、そんな悔しささえ覚えた。

   このときに教えてもらった音楽を皮切りに、芋づる式に自分で世界を切り開いていった。このとき知った音楽たちは今も私の音楽史の転換点的存在であり、同時に、日本の音楽シーンもこの頃また転換期を迎えていたと思う。ちょうどそんな時代の渦が発生していた時に一緒に飲み込まれていっていたことに、今になって誇りに思う。

 私にはどうもこれらのアーティストたちが"ひとつの時代の同期"なような気がしてならない。もちろんアーティスト同士の繋がりなどは少なからずあると思うが、出自やバックボーン、所属レーベルなどはまったく異なるし、単に同じ時代に音楽シーンに現れたというだけである。単純に、自分が知った時期が同じだというだけだ。

 あれから8年経つが、私の音楽シーンは大きく変わっていないように思う。日々新たな音楽に出会っては衝撃を受けたり感動することはあるこそすれ、2016年という大きな存在を超えることはなかなかないように思う。2016年が私の中ではある種の基準のようなものになっている。
   音楽に優劣などない。ただ、私が受けたあの衝撃を上回るような出会いたちが、今後現れることは果たしてあるのだろうかと思っている。

  
  


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