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俺たちMステ堂真理子世代

 kemioがいつか言っていた「ウチらMステ堂真理子世代」というワードが頭から離れない。直接的に出生年を聞かずとも相手が同世代かどうかを確かめるための最適な表現であると私は感動した。

 実際に堂真理子がMステの司会をやっていたのは2004年の8月から2008年の9月までの4年間。こうやって見ると結構短い期間なのだが、この時期を熱心なテレビっ子として過ごした私にとっては、Mステの司会者はタモリと堂真理子の二人というイメージが強烈に残っている。「こんばんはタモリです」「こんばんは堂真理子です」というこの続けざまに挨拶をする姿と声が今でも鮮明に脳内再生できる。

 要は、一番テレビを見ていた時代、あるいは最も多感であった時期に見たり触れたりした娯楽は、その当時がまさしくゴールデンエイジとなって、その後のイメージをほぼ決定づけるということだ。

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 たとえば、私は「アンビリバボー佐藤藍子世代」だ。アンビリバボーは私が見ていた時代だけでも女性司会者が、佐藤藍子→小林麻央→大政絢→剛力彩芽と変遷しているが、アンビリバボーが最もホラー企画をやっていた時代(私は黄金期と呼んでいる)に司会をしていた佐藤藍子の印象がとても強い。

 また、私は「細かすぎてウクレレえいじ世代」でもある。細かすぎ伝わらないものまねシリーズ、現在は単独番組として放送しているが、もとは「とんねるずのみなさんのおかげでした」内の1コーナーであった。
 ウクレレえいじは第5-6回大会、13-14回大会あたりの常連出場者で優勝経験者でもある。彼が披露した牧伸二師匠のものまねや岡本信人のものまねは今でも印象深い。私が細かすぎての出場者のネタでサンプルとして提出するならウクレレえいじのネタを提供する。ウクレレえいじエイジなので。

 また、私は「ポケモンのお菓子ポロック世代」でもある。私はポケットモンスターシリーズをRSE(ルビー・サファイア・エメラルド)から始めたクチだが、ゲーム内に登場するお菓子といえば「ポロック」だった。専用のケースい入った正方形でパステルカラーのお菓子。当時はケースとお菓子が市販されていて、お菓子売り場でよく母にねだったものである。
   その後はポロックからポフィン、ポフレへと変遷していったらしい。ポフレについては知らない、なにそれ化粧品??

 おまけに私は「SASUKEリーヴァイ・ミューエンバーグ世代」である。リーヴァイ・ミューエンバーグとは、SASUKEシリーズの第20回(2008年)から続けて5回ほど出場していた有力選手。外国人選手がSASUKEに出場というだけで結構ワクワクしたものだが、その中でもトップクラスの成績を残していた彼は、ちょうど熱心にSASUKEを見ていた時期と重なって印象深い。

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 昔は良かったとか、今は面白くなっただとか、それってどう見ても個人の感想すぎる。何事も自分が一番のめりこんだ時代がゴールデンエイジになる。他の時代と比較する必要なんてまったくない、自分の時代を生きてください。

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