大人になったらアイスクリーム工場でタダ働きさせられると思ってた
ミラクルボールが犯した罪はデカい。まだ社会の"しゃ"の字も知らないガキンチョたちに、「社会とは、一寸のミスも許されないほどに厳しく、負けたものには復活の権利すら与えられないような、冷徹で残酷無比な人たちが取り仕切る場所」というイメージを植え付けたのだから。
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遡ること数十年前。当時幼かった私は体が弱く、何度か入院をしていた。入院中は外出できない為、見舞いに来てくれた母が1階の購買で暇つぶしにとコロコロコミックを買ってきてくれた。
当時の私には漫画雑誌を読む習慣というものがなく、家にドラえもんの単行本が数冊あるくらいだった。漫画雑誌には連載中の作品が数十本載っているのがスタンダードだが、もちろん中には興味のない作品もあるわけで、「読まない部分があるなら雑誌を買う必要ないではないか」と幼いながらに腹を括っていた。
とはいっても、入院中の身であるため贅沢は言えず、買い与えられたそのコロコロコミックをベッドの上でおとなしく読んでいた。他に読むものもないので、入院期間はそれを繰り返し読んでいた。
その中でも、私がよく覚えているのが「ミラクルボール」という野球漫画だ。私が読んだのは、プロ入団のピッチングテストの回であった。
ざっくりと内容を書き起こすと、プロ入団にあたって投球の試験(遠くにあるぬいぐるみにボールを当てて落とすという内容)が行われるのだが、それに失敗すると何故かアイスクリーム工場で一生タダ働きさせられる、というもの。
別に失敗したら家に帰らせればいいものを、なぜ無償の労働力として採用するのか、しかも中学生だか高校生だかの未来ある若者を、失敗の代償が大きすぎるだろ日本ふざけんな! と当時思った。一度レールをはずれると二度と這いあがれない。あまりにも理不尽だ。
しかもその代償が「アイスクリーム工場でタダ働き」という、なんか妙なリアルさが余計に気持ち悪い。確かピッチングテストを実施する会社がアイスクリーム製造会社だとかそんな理由だった気がするが、どうせ強制労働させるんならカイジみたいに工事現場とかそういうスタンダードな強制労働の方がまだよかった。
また作中に、「タダ働きをさせているから、アイスクリームが安く買える」というセリフがあった。確かに、現実世界で売っているお菓子やアイスクリームも、お小遣い制の私たちガキンチョでも買えるくらいに安価だ。それが変にリンクして『子どもの私でも買えるのだから、その犠牲になっている人たちがいるんだろう』と純粋な私たちが考えてしまうのは当然だ。ミラクルボールの罪は重い。
アイスクリーム大好きな小学生たちがメインターゲットのコロコロコミックで、こんな妙に生暖かくて根深い裏切り方をされたのが、なんだかとても気持ち悪かった。きっと私も大人になったらタダ働きさせられるんだ…と怖くなったのを覚えている。
ちなみに作中のイメージ図では子どもに労働をさせているので、労基法的に見ても完全にアウトである。何がミラクルボールだ。どう見てもスリーアウトだ。
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改めて、今自分が労働をする立場になってみると、ミラクルボールのあの大げさな描写はあながち間違っていなかったようにも思う。
当の私は子どもではなくもう大人で、月に一度ちゃんとお給料をもらっているので決してタダ働きをさせられているわけではないが、固定残業代制度の会社で働いているので、まぁタダ働きみたいな一面もある。
作中では、アイスクリームの安さのワケが「タダ働き」とされていたが、社会に出てみるとそれに近いことさせるグレーな会社も普通に存在するし、タダ働きとまではいかなくとも、「企業努力」「コストカット」という魅力的なワードに姿を変えて平気でまかり通ったりしている。
ミラクルボールの作者が大人の社会の厳しさをポップに伝えようとした結果が、アイスクリーム工場でタダ働きだったのかもしれない。ミラクルボールの作中での「タダ働き」が、固定残業制度のことを指していることを切に願う。せめて月給だけはもらっていてほしい。
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私がミラクルボールを読んだのは後にも先にもその一話きりなので、ストーリーの前後の繋がりを全く知らないし、ピッチングテストの結果がどうなったとかは全く知らない。あのとき病院のベッドの上で1週間繰り返し読んだあの時間だけが、私のミラクルボールのすべてだ。
いやぁ、タダ働きほど怖いものはないぜ。