見出し画像

未完成婚で母になる!?#06 本の感想ーいちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのことー

注意:アロマンティックやアセクシュアルの要素がまったくない人間の感想です。一部の表現に、不快感を感じる方もいるかもしれませんので、ご了承ください。


前々回の、アロマンティックやアセクシュアルについての記事を書くにあたり、

この本を読んでみた。


夫に、アセクシュアルの要素が少しあるのかも?と思い、読んだこの本…
正直に申し上げると…私は読むのが、めちゃくちゃキツかった…。

本を読むスピードもガタ落ちし、前々回の記事の投稿も遅くなった。

どんな立場でこの本を読むのか?で、感想がまったく違うことになるんじゃないかと思う。

自分がアロマンティックでは?アセクシュアルでは?と思い読む場合は、「自分はこれでいいんだ」とか「他に仲間がいたんだ」と感じ、救われる方もいらっしゃるんじゃなかろうか。

友達や兄弟姉妹から、カミングアウトされて読んだ場合、相手を理解するのに役立ちそうだし、特に周りに誰もそういう方はいないけど、興味を持って読んだ場合、「こんな方もいらっしゃるのか!」と、多様性を知るいい機会になるかもしれない。

が…
私のように、自分にはまったくアロマンティックやアセクシュアルの要素はないが、夫や妻、彼氏や彼女など、自分のパートナーがアロマンティックかも?アセクシュアルかも?と思い読んだ場合…

めちゃくちゃキツイと感じる人が多いんじゃないか、と思う…

以下、なるべく表現に注意して書いたつもりだが、否定っぽい表現も出てしまうかもしれない…。

私のような立場の人間が、この世にどれだけいるのかわからないけれど、その参考として、感想を正直に書いてみます。

私の場合、夫が恋愛感情は持つけれど性的には惹かれない、というアセクシュアルのグレーでは?という立場です。

アロマンティックのことまでは想定する余裕はなく、実感もないために触れていません。


読んでよかったこと


確かに、アロマンティックやアセクシュアルへの理解は深まった。

過去にあった夫とのすれ違いや数々の出来事、「いったい、何考えてるの!?なんでそうなるの!?」という疑問や違和感も

「あ~~~~こういうことだったのか…その視点で考えれば…なんかわかるかも…」と、理解の糸口のようなものを得ることもできた。

ともかく、考え方や感じ方のルートが、自分とまったく違うことが書いてあり、「自分の当たり前」が根底から崩れて落ちていくような感覚があった。


私にとって、「恋愛的に彼が好き」と「父や母が好き」「友達が好き」は、全然違う。

違いが何か?と言われると、答えに詰まるのだが…

恋愛的に好きになると、二人きりで一緒にいたかったり、相手に触れたかったり、相手も自分のことを好きになってほしいと思ったりする。

その欲求の行きつく先にセックスがあり、好きな人としたいと思う。
「恋愛的に好き」と「性行為をしたい」が、繋がっている。

が、アセクシュアルの方は全然それが違うようだ。

「恋愛的に好き」と「セックスしたい」が繋がっておらず、独立していると受け止めた。

パートナーがセックスを望まなかったときに、「自分は愛されてない」と、つい感じてしまうのだが…

そうじゃないのだ。

「愛してなくてもセックスできる」
これは、なんとなくわかっていた。

ワンナイトとかもあるし…
でも、生理的に無理とか、すんげぇ嫌いとか、気持ち悪いとか思う相手だったら…ワンナイトのセックスですら、できないだろう。

愛まではいかなくても、出会ったその日の一度きりだとしても、何らかの瞬間的な好意がそこにはあるような気がしている。

だから…これの逆のような「好きだという気持ちはあるけど、セックスしたいと思わない」という思考を、芯から理解するにはかなりの発想の転換が必要だった。

夫が私とのスキンシップを、自ら一切望まなくても、私のことが好きじゃないって意味ではない…

本当にそういうことなのか……、と過去の諸々が腑に落ちた。


あと、もうひとつ、「好きな相手と性行為をする相手が別ということもある」ってハッキリ書いてあったのも良かったこと。

うん……
性欲強めの肉食な私が、夫とできることが永久にない場合の最終手段としてとっておいてあるヤツだ笑

肯定してくれて、ありがとうございます!!!!


読んでしんどかったこと


上記のように、自分とはまったく違う思考回路のアセクシュアルについての理解は深まった。

しかし…それには大きな痛みが伴った。

読めば読むほど、まったく重ならないお互いの思いや欲求が、これでもか!これでもか!と突きつけられる感覚だった。

好きだから身体も繋がりたい、非アセクシュアルの人(アロセクシュアルというらしい)と
好きだけど身体は繋げたいと思わない、アセクシュアルの人……

これはもう……永久的にお互いが交わらないのではと……

絶望感でいっぱいになった。

でも、アセクシュアルにも、グラデーションがある。

好きな相手であっても絶対にセックスができない、という方もいれば、まぁ自分からは望まないけど相手が望むならちょっとはしてもいいか、という方まで人それぞれだ。

それはアロセクシュアルも同様で、好きな相手とは絶対にセックスをしたい、という方もいれば、まぁ相手が望まないのならしなくてもいいか、とか、性欲は他で発散すればいいか、とか色んな考えがあると思う。

アセクシュアルとアロセクシュアル、お互いのグラデーションがマッチする!?絶妙なバランス……

そのわずかな重なりを、折り合い地点を、お互いに譲歩して探れるのかどうか…

これがアセクシュアルとアロセクシュアルがパートナーとしてやっていけるのか、の分かれ道だと思った。


著者側は、完全なるアセクシュアルの立場に立って、この本を書いてるように感じた。

なので、何度も何度も読むのを止めて本を閉じて、

「この著者は、ここに登場する人物たちは、私の夫ではない。夫は夫で、自分の感覚を持っている。これは夫ではない、だから絶望するな、絶望するんじゃない…!!

と、自分に言い聞かせた。

そうじゃないと……読み進めることができなかった……


本にも「色んなアセクシャルの方がいる、それぞれ違う」と書いてある。

書いてあるのだが……

なかなか世間では理解されないアセクシュアルのことを伝えるために、今までたくさん傷ついてきてるだろうマイノリティの方々を救うために書いてある、その文章が……

アセクシュアルのグレーらしき夫と、これから先も夫婦として生きていきたい、アロセクシュアルの私にとっては、心を抉られるように痛かった。

「あなたたちも辛いだろう…たくさん傷ついてきたんだろう……でも、そんなあなたたち側の人と一緒にいたいと思っている、こちら側もすごく辛くて苦しいのに」

と言いたくてたまらなくなった。


永遠に続く平行線………



私は性の快感を知ってしまっている、愛に満ちたセックスをしたいと思っている、性欲強めの肉食妻だ。

アセクシュアルのグレーの傾向がある、絶食夫との折り合い地点は、まだ見つかっていない……。


私は、完全なるアセクシュアルの方は、パートナーとして受け入れられない……

これはもう、明白だった。

友達や知人なら受け入れられると思うが、パートナーは別問題だった。

自分は、違う価値観の人も受け入れられる、LGBTQIA+、精神疾患、身体的な障害、外国人、色んな人を受け入れられる、そんな人間だと思っていた。

でも………それは、大きな奢りだった。
自分の器は、もっともっと小さかった……

受け入れられる、と思っていたのは、単なる机上の空論のようなもので、自分が生きてる現実の生活にはないものだったから…距離が遠かったから…

自分の人生に大きく影響を及ぼす至近距離で、まったく違う考えや特徴を持つ人を受け入れて、実際に共に生きていけるのか、ということは全然違う。

別物だった…。

それに気づいたとき、文化や人種、宗教の違いによる争いが絶えない、多民族国家の人たちを思った。

基本的に単一民族の日本という国で生きていれば、あまり出会うことのない民族問題。

この解決が本当に難しく、何千年も争いが続いているのは、自分の人生や生活に影響をもろに受ける至近距離で、自分とはまったく違う文化や価値観が存在しているから……

お互いに折り合えない、譲れない主張がそこにあったとしたら……
永久に平行線だ。

それが個人レベルではなく、何万人、何十万人、何百万人という国家レベルだ。

私が、同じ日本人であり、好意をもってる夫1人を受け入れるのに、これだけ苦しんでいることを思えば…

民族レベル、国家レベルで互いの文化の違いを受け入れることは、途方もなく困難だ。

そんなことは、今さら私が言わなくても多くの人がわかっていようが、その困難さが本当にどんなものか、私は今をもってハッキリと肌で感じた。

他人事から、自分事になって初めてわかることがあるんだと気づいた。


本当に私はもう…何にもわかっていない、甘ちゃんだったのだ。


日本の片隅の、ちょっと古めの賃貸一軒家に住む、凸凹アラフォー新婚夫婦の性のお悩みが、数千年続く民族紛争という世界規模の話にまで飛躍してしまった。

いつにも増して、とりとめのない文章になってしまったが仕方ない。

本当に、この本を読んだ感想がこれだったのだから……


私は、夫婦喧嘩のほとんどない、穏やかな家庭に憧れていた。
自分が育った家庭環境とはまったく違う、穏やかな家庭に……

「お前、そんなんウソやろ!?」
って言われるくらい、この半年は夫とバチバチにやりあったが…笑

違うんだ、そんなことしたいと思っていたわけじゃない。

あの苦しい半年は、まったく違うお互いを受け入れるために必要なプロセスだったと思いたい。


私にとってのこの本は、夫と自分の違いを冷静に見て受け止めるのに、手助けしてくれる本だった。

でもできればな……
夫がアセクシュアルかも?とか思わない状態で、もっとフラットに、客観的に考えられる立場のときに読んでみたかったなぁ……

そしたら、これとは全然違う感想になっただろうな…

しかし、きっとその感想は、今より薄っぺらで上っ面を舐めたような浅いものだった可能性が大だ。


まったく違うお互いを受け入れあって譲り合ったその先に、

どうか平和な毎日がありますように………


※この記事には、Amazon アソシエイトの広告リンクが含まれています。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集