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今でも痛む過去の傷は未来の誰かの最後の砦

ふと
身体の傷は自然治癒力に従って
時間の経過と共に塞がる事も多いけれど
目に見えない心の傷はどうなんだろう?
と思いました。

特に『痛み』に関して
「表層意識」が感知しなくなったとしても
『潜在意識』は感知し続けていたとしたら…

それが「現実」で「傷」に触れる度に
「表層意識」に上がってきて
『痛み』を感じるのが「トラウマ」で、
尚且つ
「過去の傷を受けた時」を自分の中で
『再現』してしまうのが「フラッシュバック」
だとしたら…


そこまで考えて、
もしかしたら心の傷はそこを塞がない限り
何年経っても
何十年経っても
そのままなのかも知れない

と思いました。

私が思う傷を塞げる唯一のものは

『愛』

です。

それも『自己愛』と他人から『注がれる愛』
二種類とも必要なのではないかと考えています。

周りを見ていると
多くの人が
「自力で何とかしないと」と
更に自分の見えない傷にをして
『自己愛』すら届かない所に押し込めて
「自分」を保とうとしているように
感じる事があります。

そして、私がそう『感じる』人達には
ある「共通点」があります。

それは
みんなに「優しい人」だという事です。

ただし

『自分』以外の、

という枕詞がつくところがポイントです。


常に周りのみんなの幸せを願って
自分がどう動いたら
誰も傷つかずに済むか考えているのに

なぜかいつも
『自分』がその「みんな」に
含まれていない人達が『痛み』に耐えて
蓋をしてしまうと私は『感じて』います。




本当は誰より優しくされたいのに…

本当は誰より傷ついているのに…

そういう人達の選ぶ選択肢は
いつも『自分』を後回しにするもの
なので、知らず知らず
報われない現実」を引き寄せて
それでも必死に「誰かを愛そう」として
「自分」を削り続けているように
私は感じました。

そしてもしかしたらそれは、
【イデオロギー】なのでは?と思います。




誰かを幸せにしたいなら
まず『自分』が幸せになってみませんか?
誰かに楽になってもらいたいなら
まず『自分』が楽になってみませんか?

私は四角い「社会」に「適応」できなくなった時に初めて
自分の「カタチ」について考えました。
そして知りました。
私の「カタチ」は一つでは無かったのです。

その時によって「カタチ」が変わる私が
四角い社会に適応できない事は
当たり前」だったのです。



「傷ついた分だけ誰かに優しくなれる」のは
『自分』が癒された後の話じゃないですか?

「苦労は買ってでもしろ」というのは
誰かの一意見に過ぎませんよね?
私は苦労を買うお金があったら
楽しみを買う事を選びます。
それを提唱した人は本当に『幸せ』
だったのでしょうか?

「苦労や困難が人を育てる」のは
それを乗り越えた後に、
学習成果を智慧に変えられる
事が前提になっているのではないでしょうか?



本当に苦しくて辛くて
どうしようもない時に
支えてくれた『誰かの愛』があったから
みんな
何もできなくても
理想に届かなくても
『ありのままの自分』を『愛せる』ように
なったのではないかと思います。

だから、
自分の『痛み』に気付いた時は
しっかり『手当て』をして欲しいと思います。

誰かに『助けて』って発信するのは
何も恥ずかしくないと思います。
「現実」で血をダラダラ流し続けている人が
『大丈夫ですか!?』と骨折した人を労っていたら
『いや、あなたこそ…😰』となるだろうな、
と思うのですが、心の傷は
『痛み』は目に見えません

だから、
重傷で何十年経っても血が流れっ放し
優しさが削られっ放しでも
みんなそうだから…」と思い込んでしまう方も
いるのかも知れないなと思いました。



私はその傷に注ぐ『他人からの愛』になりたくて
ブログを更新しています。

そして自分の「傷」を誇りに思っています。

あの時にこの世からオサラバせずに
思いとどまれたのは
私を助けてくれた主人がいたからです。
だから、どの「傷」を思い出しても
『優しさ』で包まれた「過去」に
変わり、私の「力」になっています。




ここまで読んだ時に優しい人に限って
「では、もっと自分を愛せる
自分にならなければ…」と

更に『自分』を追い詰めてしまうという事は
無いでしょうか?

だとしたら知って下さい。

世界中で貴方は

たった一人の『本物の貴方』

なのです。

完璧じゃないのが『本物の貴方』の
完璧な「カタチ」なのです。

今はできなくても
未来の貴方はできるかも知れない
できなくても
貴方は幸せになれるかも知れない
伸ばそうとしなくても
爪や髪が伸びているように
ある日ふと
自分の「変化」に気付くのかも知れません。
貴方以外に
貴方にとっての「正解」
知る人はこの世にいません。

だから「貴方」が
『ありのままの貴方』を許すだけで
本当に「世界」は変わります。




そして「傷」が癒えた時に
その「傷」がもっていた「痛み」は
未来の誰かを救う「説得力」に変わります。

順風満帆で生きてきた誰かの言葉が
届かない相手にも
「痛み」を知っている『貴方』の『言葉』なら
届くかも知れません。

だからこそ
「貴方」が『貴方自身』に寄り添い優しく癒す事は
「我儘」でも「甘え」でもなく
とても尊い行為だと
胸を張って欲しいと私は思います。

傷付いている誰かのもとにこの「一説」が届いて
少しでも楽になってもらえますように…

最後まで読んで下さり
ありがとうございました🙇💕

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