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憧れるって苦しいから
小さい子向けのアニメなんかでは、「憧れ」というのはとても綺麗に描かれていることが多い。「憧れ」は主人公の道標になるし、それに向かって頑張るあなたはとてもキラキラしているんだよ、と言わんばかりにそんな話でありふれていると思う。
何かしらの方法で「憧れ」に辿り着けるなら、それは憧れがいがあると思ってしまう。それがどんなに遠くても、走る方向があるのだから。
私はずっと、楽しい学校生活や友達とおしゃべりしながらの帰り道、クラスに好きな人がいる状況とか、勉強や部活動に励む毎日など挙げ出したらキリのない、いわゆる「高校生活」や「青春」に憧れを持っていて、高校3年生の今、もうすぐでそれがもう叶わなくなることも知っている。
その間、憧れる気持ちが薄くなることもあれば、憧れが少し叶った瞬間もあったし、その時はとても嬉しい気持ちになったけど、やっぱりどうしようもないくらいそうなりたいと思った時もある。
憧れて、そうなれればいいなと思って
そうなれる方法が自分にもあるはずだと考えて
それでも自分はかけ離れた環境にいることを認めざるを得なくて、そのことについて自分を責めるのは違うくて。
じゃあ、それは特別素敵なことではないかもしれないと思うことでもう憧れは捨ててしまえばいいんだと覚悟を決めて、それなのに、街でふと嫉妬してしまうこともあって。
その時に自分の心の一部が真っ黒で、全く光が届かない場所ができたことに気づいて、できるだけ自然な笑顔と態度を心がける。
世間一般の人がどうなのかは知らない。
だけど、自分はこの先この”小さいけれど真っ黒で照らしようのない部分”を抱えながら過ごしていくのかなと思う。それはつまり、「なれなかった自分」を抱えて生きていく人生の始まりなのだと思う。もしかしたら、どこかで光が当たることがあるかもしれないけれど。
「憧れたけど、そうはなれなかった」に囚われた人生なんて嫌だから、できるだけ苦しくならないように憧れないように自分に言い聞かせるしかなかった。そうしていくうちに、何が良かったのか忘れてしまったものもある。
ふとしたきっかけが「もうなれないか」と思わせてきた時、憧れてるだけ苦しいだけだから、憧れるっていうのは苦しいことだから。
何ができたら満足だったのか、私は弱い人間だから「囚われた人生」にすぐ傾こうとしてしまう。けれど、今はもっと「今」と「これから」を照らせる人になりたいと思っているから、そんな弱い自分と闘っている。そして、できるだけ闘い続ける人でありたい。
できれば「憧れ」がもう少し綺麗なもののままだったらよかったけれど。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
また、次回のnoteでお会いしましょう。