ヨガと哲学
ヨガを勉強している人たちが「哲学」と言ったら、それは「ヨガ哲学」を指すことが多いと思います。ヨガ哲学とは、ヨガをそのルーツから学ぶという意味で、「ヨガの始まりであるインドの古典について学ぶ学問分野」と私は解釈しています。インドの古典はヒンドゥー教の聖典でもあるので、その内容は非常に宗教色の強いものです。
日本で一般の方がイメージする「哲学」というのは、アリストテレス、プラトン、カント、ヘーゲルといった哲学者の優れた思想について学ぶことなのではないかと思います。あるいは、ハウスメーカーや家電メーカーが宣伝コピーに使いそうな「暮らしを哲学する」とか、スポーツ選手が「サッカーを哲学する」という様な使い方もします。何か特定の事柄について深く観察し、自分なりの理論を持つまで考え抜くことを「哲学する」と言ったりします。例えば私は、大学で専攻したのが社会教育の分野でしたので、「教育哲学」という難関科目がありました。専門分野を持つのには「哲学を持っていること」というのは非常に重要なんですね。
実は前々から「ヨガ哲学」という言葉に、少々違和感を感じていました。哲学とはそもそも「当たり前だと思われている事を疑ってみる」とか「そこにある原理を見つけ出す」ような知的作業で、「自分で考える」のが大前提です。特定の宗教の教義や思想を学ぶのとは少し性格が違います。なぜなら宗教というのは、絶対の「真理」がすでにあって、自分の勝手な考えをそこに加えることは許されないからです。で、調べている内に以下の文章を見つけました。
「インドの思想家たちは、人間存在やその拠り所としての世界に関する思弁・洞察をダルシャナ darśana と呼んだが、この語は「見(観)る」を意味する動詞から派生した名詞であり、西洋およびインドの諸学者は、これを philosophy と訳している。ダルシャナは聖典の権威によらず、理論的思索のみによって行う哲学的探求アーヌビークシキー ānvīkṣikī をも包摂しているが、インドの思想家がダルシャナのなかに含めているのは、今日宗教と呼ばれている仏教、ジャイナ教、およびベーダーンタ哲学など、ヒンドゥー教の諸体系である。」(平凡社 世界大百科事典 第2版)
ここで言うインドとは、古代インドの範囲なので、現在のインドと近隣諸国も含む「インド亜大陸」といわれる地域のことです。
インドの方は「ダルシャナ」を philosophy と訳すようです。日本では philosophy を「哲学」と訳します。ですが、おそらく「ダルシャナ」=「哲学」ではありません。日本では、哲学と宗教は別なものです。むしろ真逆の性格を持つものです。
翻訳って難しいと思いました。言語能力以外のいろんな知識が要るんですね。