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子どものころのあれ

今朝、「ロバのクリスマス」を聴きながらご飯を食べていると、音色の豊さから昔の自分を思い出した。

ピアノを習っていた。
お決まりの練習曲と課題曲を習い、家での練習という流れ。
その成果を先生に披露する。そんな一連がある。

まぁ〜身が入らずの練習嫌いだったわけで、そんな中たまに思うままに弾いて楽しむという現実逃避というあそびをしていた。
衝動なのか何か湧き出るモノを感じていたのを覚えている。
その時ばかりはめちゃくちゃ楽しくて、ノリに乗って演奏していて、ピアニシモもフォルテシモも雰囲気を出すために流れのまま一丁前に意識してた気がする。
でもとっても些細なことで、今までピックアップした事もないくらい。
なぜかその時のことを回想していた。

それはそれは、周りから見たらただのデタラメで、もしかしたら耳障りなのかもしれない。
案の定「何してるの?早く練習しなさい」と言われてたのか、自分でも良くないことという意識があったような気もする。
いや、ちょっと待ってよね・・・と今朝思ったのだ。
これはたらればになるけど、そのデタラメ即興を形にしていたら新しい景色が見えた可能性がないか?って思ったわけです。
見方を変えれば創作の入り口だったのかもしれないと。

それと同時に思ったのは、習い事には正解があるものが多いし、大人からしたら成長もわかりやすいのだけども、もしも子どもがそこからはみ出して、自分の世界であそび出したら、見守ってチャンスと思う余白を願いたいなと。

正解のない事もあるって、昔から思っていたなぁ。

そんな朝でした。

写真は先日食べに行った「いな暮らし」さんのご飯。ただいま〜と言いたくなるような佇まいと、美味しいメッセージが入ったホッとする料理。
懐かしさで、生まれてからずっと続いてる自分の物語を振り返って、今を確認した。

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