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結局私たちは幸せになれるのか


人生で初めて推しが晒された。
目覚めて1番初めに入ってきた情報がこれだったときは寝ぼけて幻覚が見えていると思った。思いたかった。


公演は何回もあるのに私が気付いたのは私が1回しか行かないその日だった。


まだ新幹線のチケットを買っていなかったし、起きたはいいが行かない選択肢も十分にあった。なのに気付いたら灼熱の大阪を歩いていた。


公演こそお通夜状態だったものの、私と言葉を交わす推しはいつも通りだった。大阪まで来てくれてありがとう、そう言ってくれた。



推しに出逢ってから推しに会う日が幸せじゃない日はなかった。
そしてその日も振り返ればすごく幸せだった。


結局私は推しから離れることができなかった。
もしも友達にこんなことがあったと相談されたら、そんな人さっさとやめなよと絶対に言うのに


私が推しを信じたところで私のことを好きになってくれる訳でもないし、ファンとして出会ってしまった以上決して交われないと分かっているはずなのに分からないふりをしている。



そろそろ彼氏とか作らないといけない歳だと分かっているけど、次の推しの誕生日はフラスタを送りたいし、もう1回私の誕生日も一緒に過ごしたいし、推しと同じ言語でもっといろんな話をしたいし、、オタクとして叶えたいことがありすぎる。


なぜかこちら側の意識だけは高いので、これらを叶えるとき頭の中は推しだけでありたい。
という彼氏ができない言い訳まである。


推しは見返りをくれないというが、出逢ってからの私はずっと幸せで、これを見返りだと思ってしまう。
だけど彼氏がいたらそこにお金は発生しないし、向こうにとっても自分しかいないんだって考えたらそっちの方がもしかしたら幸せなのかもしれない。
(とりあえず浮気してないと仮定すると)


結局オタクとしての幸せなんて知らない方が幸せだったんだろうか。


(今までに登場した推しには一切関係ありません‎^_^︎)


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