都志見文太と最果タヒと私
「魔法使いの約束が好きだ」と職場の人間に伝えると、この本を勧められた。
しかも2人から同時にだ。お恥ずかしながら、私は最果タヒさんを知らなかった。朝、誰もいない会社。しんと静まり返ったオフィスで一気に読みほした。
彼女たちが、私の言葉に、人間を嫌い、憎み、それでも星をめがけて飛ぶ羽虫のように人間に焦がれているような感じがしたからなのかな~などと思った。
じゃあ「タヒさんと仲良くなれるか?」と思って読んでみた。
しかし、魔法使いの約束のシナリオライターである都志見さんとも、タヒさんとも仲良くなれる気はしない。
お互い別の崖と大きな海と風の音しかなような惑星で生きているので、会話が成り立たないと思う。
でもやっぱり、みんなが住んでいる地球のことが気になって、望遠鏡で覗きながら書いたような作品だなと思った。
「うえ~ん人間嫌い!いや!え!?なんでほっとくの!?構ってよ!え!?でもやっぱいや来ないで」みたいな。
死ぬほど面倒な人間。そうこれが陰の者。
「嫌い」じゃなくて、きっと言葉を知らないんです。
自分の惑星に気持ちを明確にする言葉が「嫌い」しかなかっただけ。
なんかこう書いても「人間」っていう大分類になってしまうと「あなたが嫌い」になってしまうのでもう少し詳しく書こうと思います。
美しいものや、真っすぐなもの、汚れないもの。
それらが星で、私自身は羽虫で、よだかなんだと思います。
星に向かって飛んだら死ぬのは知っていて、イカロスの英雄的な嘲笑を得ることもなく、闇夜に溶けて静かに燃えて死んでいく。
そこに絶叫があるかもしれないけど、誰にも届かない。
星は私のことを知りもしないで、輝き続ける。
だから「嫌い」なのかもしれないなと書いていて思いました。
そんな自分を憐れむことに時間を費やすことを蔑まれたり、みじめに思ったりする方もいると思います。
事実、かわいそうが一番気持ちが良い。
けど、別に自分自身の人生をどう語るのかどう生きるのかは自分次第なので、こういうたとえになりました。
タヒさんにとっては詩の中に出てくる「ぼく」「わたし」が羽虫で「きみ」は星なんじゃないでしょうか。
魔法使いの約束を読んでる私にとって、星は「魔法使いたち」。
ネットで調べた知識なんで違ってたら申し訳ないんですが、ベテルギウスを肉眼で見られるようになっているのは500~600年前の光が今地球に届いているからなんですよね。
だからもう、実は死んでいるかもしれない。
私がもしたどり着いたところで、もう彼らはとっくに死滅して燃え尽きて屑になっているかもしれない。
でもいいんです。会ってお話したかったわけじゃない。
会ったって何を話していいか分からないし。
でも星を目指したかったんです。間違っても、あなたのようになりたかったわけじゃないんです。憐れんだりして欲しいわけじゃなくて…。
ただその星が美しかったので、もっと知りたくて、近くで見たかっただけなのかもしれない。
それか、美しいものに触れて分析することで「なんだ、こんなものだったのか」と思って、自分のみじめさや醜さをごまかしたかったのかも。
その時、自分のように星を見上げている人間が、一瞬でも燃える私を星だと見間違えたのなら、とっても愚かしくて、とっても嬉しいと思います。