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ガラ受け/女装
父の身柄を引き取るため、Kたちは留置所へ赴く。面会室に通されると、大叔父が早速アタッシュケースを開ける。金品を取り出して、監視員となにやら下交渉を始める。幼いKは、面会室の窓から中庭を眺める。一人の拘留者が樫の木に縛られ、監視員たちに取り囲まれている。ライターの火で顎を炙られ、監視員に一本ずつ指先の爪を切られている。いや、よく見ると、気絶したところを火で呼び覚まされ、指の爪を剥がされているのだ。耳をつんざく喚き声が、面会室まで届く。あの拘留者は父さんじゃないのか、とKは不安になる。母が同行を嫌がった理由を充分に合点しながら。
やがて、大叔父がにんまりして言う、「じゃ、これから署長殿に掛け合ってくる。おまえはここで待ってろ」。監視員の懐には、真珠のネックレスが収められている。貴金属の他にも、アタッシュケースに金塊プレートがあることをKは知っている。「心配しなくていい、すぐに出してもらえるわ」、大丈夫、大丈夫、というふうに大叔父は何度も頷く。独りぼっちにされた面会室で、Kはまた外の拷問に目を移す。ほとんど入れ違いで、ガラス板で仕切られた向こう側に一人の女がしょっ引かれてくる。二度見のあと、Kは目を見張る。面会室にうなだれて入ってきたのは、父なのだ。
女装しているのだ。けばげはしいパープルのセーターに、合皮の短いスカートを穿いている。ブロンドのカツラを被り、細かい巻毛までちゃんとカールされている。毛むくじゃらの両脚には、女学生のような白いソックス。ピンヒールが足元をふらつかせる。きょとんと呆けるKに、「母さんは? 母さんは一緒じゃないのか?」と父は訊く。ガラスの壁を通じる受話器を取りあげ、Kにも同じように指図してから訊く。大叔父と来たことを告げると、父は矢継早に問いかける、「そうか、それじゃ、大叔父さんは何か持ってこなかったか?」。
「持ってたよ。お金とか時計とか、たくさん」
「よしっ。で、いま署長のところへ行ってるんだな?」
「うんっ」
「そうか」
「父さん、何したの?」Kは思いきって訊ねる。
「何にも」と父は応える、両手を広げてもう一度「なーんにも」。
「じゃあ、お爺ちゃんがしたの?」
「大叔父さんが何か言ったのか?」
「ううん。お爺ちゃんは、もう死んじゃったでしょ?」
「大きくなればおまえにも分かる、世の中には表と裏があって」
諭すように話す父を、外からの絶叫が中断させる。樫の木の拘留者は涎を垂らし、薄笑いとも半泣きともつかない半狂乱だ。拷問者たちは爪を剥がし終えると、今度はペンチを用意して指の第一関節を切断していく。父は目を背け、「いいか、世の中には表と裏があってな、女・子供のほうが得な場合だってあるんだぞ」。そこへ、大叔父が戻ってくる。首尾よく交渉が成立したのか、空っぽのアタッシュケースを手品師のように開け、Kを安心させようとする。同時に、ガラス板で隔てられた女装のオカマもどきを見定め、絶句する。両目をひん剥いて、「な、なんてこった!」。
「叔父さん、今日は迷惑をおかけしまして……」
「なんてこった! 気でも狂ったか!」
ガタゴト揺られながら、大叔父の運転でKたちは帰路に着く。どうにか釈放されたというのに、大叔父はずっと父をなじり続ける。根性がなっていないだの、腐った女以下だの、次第に昔話が混じり、鉄屑を拾って食いぶちを稼いだり、密造酒を売りさばいたり、牛を殺したこと、トトカルチョの飲み屋で儲けたこと、等々が箔を付けるように加わる。おまけに署長との裏取引までを披露する。「拾得物を装わなきゃ受け取れん、ってぬかしたわ! 次回からは清涼飲料水のケースにしてくれ、だとよ!」。「時代が変わったんですね」とコンパクトを覗きこむ父が言う。
「たわけ! 何が変わるもんか!」
「お上の機嫌ひとつで、いつだってわしらは目の敵じゃ!」
だから、どんなときでも裏金だけは残しておけ、最終的に身を守ってくれるのは現ナマだ、と大叔父は声高に吠える。いちいち同意して頷く女装姿の父には、ちっとも説得力がなく、借りてきた猫のように押し黙る。車が橋にさしかかると、父はカツラを、コンパクトを、女物のセーターを、次々に窓から投げ捨てる。最後に胸パットを外して、しばし名残惜しそうなためらいを挟んでから、ひょいとKに預ける。いつか、もしものときに、役立つかもしれないと言わんばかりに……。子を思う気持ちの、誠だけでもバトンタッチするかのように……。