見出し画像

ニヒリスティック

地下鉄の通路をとぼとぼ歩く。歩行者の少ない空洞に、ストリートミュージシャンのダミ声が響く。ギターのコードを間違えている。手前の曲がり角には、ロマ風の娘が座っている。浅黒い肌をして、やるせなく、毛布にくるまって片膝を立てている。通り過ぎざまに、Kはなにげなく娘の前に立てられた看板を見やる。看板というより、単なるダンボール紙の切れ端だ。「千里眼の女」と記され、隣にはキャンベルの空缶が置いてある。

新手の占いだろうか。Kが離れようとすると、娘は「ビビディ・バビディ・ブー」と言う。言いながら、カタカタ空缶で床を叩く。いかにも催促しているようだ。Kはポケットの硬貨をまさぐって、気持ちだけ空缶のなかへ放り入れる。「ビビディ・バビディ・ブー」と娘はまた言う。今度は礼のつもりなのか。「それは呪文なのかな?」とKは訊く。「自分で唱えてみれば分かるよ」と娘はつれない。右の鼻孔のピアスが鈍く光る。

どことなく投げやりな悲しみは、生まれさえ違えば、もっと別の人生を送れたようにも思われる。「お金、入れたよ」とKは言う。「ビビディ・バビディ・ブー」またもや同じ反応だ。Kは少々ムキになり、「未来が見通せるんだろ?」。「あいよ」ウザそうに娘はKを睨み返す。「……おっさんさ、これから階段を上がってタンクローリーに轢かれちまうね。救急車で病院へ運ばれても、そこのヤブ医者は飲んだくれで、輸血とウィスキーを間違えて入れられるし、家族に連絡したって、火事で自宅は燃えちまったあとだし、はいっ、ご愁傷様です」。

あっけらかんと、このうえなくクールに娘は言い終える。拍手でも送りたくなって、Kは「ビビディ・バビディ・ブー」と親しみを込めて返す。そして立ち去ろうとするものの、あれ、身体が動かない。「ほら言った! 言いやがった!」と娘はふたたびカタカタ空缶で床を叩く。Kはもう魔法をかけられたように抗いがたく、自分の右手を顔に持っていくと、ずぶり眼球を抉りだすのだ。細かい血管だらけの眼球を、そのままキャンベルの空缶に入れてしまう。中にはすでに干からびた目玉がいくつも転がっている。同時に、世界中が停電になる。





いいなと思ったら応援しよう!