バベルの落胤
南国の空港に降り立ち、Kはタクシーに捕まる。獲物を狙うように近づいてきた運転手に、半ば強引に乗せられるのだ。「どこから来たナ?」と褐色の運転手が訊く。厚い唇、チリチリの髪、ぎょろついた目、明らかに先住民の血を引いている。Kはホテルの名前をしっかり告げて、「妻を探しに来たんだよ、逃げられちまってね」と言う。言葉がどの程度通じるか、ジョークの理解度で計ってみる。「はいナ、奥さんのことナ」、ところが運転手はさも隣人のようにうそぶくのだ。それどころか調子に乗って、先日は有名なハリウッド・スターが来ただの、正規のオプショナル・ツアーは高いだの、乱暴な運転の道すがら、聞きたくもないおしゃべりを続ける。「お客さん、白いオウムの森、見たことないデショ?」。
ケータイの翻訳機能をオンにしても、グーグルでさえ困惑する。「そりゃ凄いヨ、真白いオウムだらけナ、島の森に何千もいるナ。海も、珊瑚が透き通るヨ、島の反対側のポイント、誰も知らない。わたしの従弟、船もってるから、半額でいいネ」「いや、泳ぎに来たんじゃないんだ」「それなら従姉のマリア、とっても美しいナ。この島でも、五本の指ガ入るナ」「ガ? 五本の指ガ?」「タクシー、ホテルで呼ぶと高い。お客さん専属お得ヨ。友達のモノヤヴも呼ぶ、荷物なんでも運ぶ。タムリムの女房は料理うまい。サンドイッチ作らせるヨ、みんな込み込み、込み込みで負けるナ……」。茂みの向こうにホテルが見えてきて、内心Kは胸を撫でおろす。このままどこかへ連れ去られるのでは、といった不安がなかったわけではない。
「お願い、お願いだからナ、ナ、約束デショ? 約束ナ?」。あまりにしつこい運転手に、なんとなくきっぱり断るのが憚られる。その微妙な気持ちを充分に込めて、Kは運賃の三倍のチップでタクシーを追い払う。次の朝、Kはその代償を思い知る。朝靄に包まれたホテル前のロータリーで待ち受けるのは、間違いなく前日のタクシーだ。運転席から満面の笑顔が、「おはようさんデス」。
それを合図に、押し込められていた車の奥から、続々と褐色の半裸体が、元気な子供たちが、乳呑児を抱く女までが、うじゃうじゃ這い出てくる。一台の車に何人まで乗れるか、まるでギネス記録に失敗したかのようだ。そのうちの一人が、白い歯を見せてニタッーと笑う。どう転んでも似つかわしくない破顔。彼女の首には、逃がさない決意の書き文字で「Your Wife」のプレートがぶらさがる。