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並行世界の映画から広がる妄想

とても好きな映画がある。
ニコラス・ケイジ主演の「天使のくれた時間」という作品。ブレット・ラトナー監督。

ニューヨークでバリバリのビジネスマンとして生活している主人公ジャックがクリスマスの日に目覚めたらなぜか学生時代に別れた恋人と結婚していたであろう世界線に移行してしまう、みたいなお話。
あの時のif、をテーマにした作品で、仕事と家族どっちが大事なのか、とか、誰かと一緒にいることの大切さ、とかいろいろ考えさせられることがあるのだけれど、見るたびにいつも気になっている事柄について考えてみる。

映画では、

ジャック、大学卒業後に仕事のために愛している彼女と別れちゃう⇒バリバリ成功しているビジネスマンになる。でも独身として生きている、
という世界線(仕事バリバリ独身世界)から、

愛している彼女と別れない⇒結婚して子供生まれて幸せな生活、でも仕事はごくごくありきたり、
という世界線(ファミリーマン世界)に移動してしまう。

歴史のifから分岐した世界を生きることになる、という設定。

よくありそうな話である。
あの時選ばなかった道を選んだらどうなっていたのか、を体験して失ってしまったものに大切さに気付く。

しかし、この作品は並行世界の話ととらえればある意味サイエンスフィクションと言える。
とすると、ぼくはあることがとても気になって仕方がない。

仕事バリバリ独身世界では、仕事を選んだあと、一社員からトレーニングを積んで出世して、自身が企業のトップとして生きている。
もう一方、仕事よりも大切にしたい人を選んだあとは、仕事はぱっとしないけれど、結婚して、子どもができて、郊外に引っ越して地域の友達と穏やかな日々を送る。
愛している彼女と別れるか、別れないか、という分岐が起こった後の世界は全く別物であり、同じジャックでも、別々の世界線で生きている二人は別人と言える。
では、仕事バリバリ独身世界から来たジャックが、ファミリーマン世界に飛んだとしたら、「もともとファミリーマン世界にいたジャックはどこにいった」のだろうか??

移動した世界線は実は夢だったとか妄想だったとか、物理的な世界移動ではなくて魂だけもう一方の世界の自分に降りた、とか、簡単に済ませることもできる。
けれど、ここでは世界が二つあるのだからジャックも二人いる、ということになりはすまいか。
そうすると、ファミリーマン世界のジャックもどこかに存在していないとおかしい。
もちろん、もともといたファミリーマン世界のジャックは同じ体の中にいるけれど眠っているだけ、とかも考えられる。
しかしながら、妥当な可能性としてはファミリーマン世界のジャックは同じように、仕事バリバリ独身世界のジャックと入れ替わった、みたいなのが考えられる。

映画では、仕事では成功を収めていて一等地のタワマンで何不自由なく暮らしているジャックが「本当にこれは自分が望んでいた世界なのか?」と悩むことが描かれるのだけれども、もし逆の視点があるとしたら、大切な人と一緒にいることを選んだけれど仕事はぱっとせず生活は満足しているとはいえず「自分はもっとできることがあったんじゃないか」とふと思うジャックもいたのではなかろうか。

仕事バリバリ独身世界のジャックはファミリーマン世界に行って、仕事であきらめざるを得なかった家族や地域の友人との大切さ、みたいなのを体験するわけだけれど、
ファミリーマン世界のジャックは仕事バリバリ独身世界に行くことで、経済世界で自分が大きな影響を与える存在として活躍し、何不自由なく女性も選びたい放題、みたいな生活を送ることで「家族がいたからできなかったけどこれだよ、自分が求めていたのは!!」とか考えたり、やっぱり「自分の選択は正しかったのか」とか考えると思う。

この映画の原題は「The family man」なわけだけど、この作品が一種のSF的なものを含んでいるとしたら、単純に「家族大事だよね」では終わらないんじゃないか。
何かを得ることは何かを失うことでもある。
最後の空港でコーヒーを飲んでいるシーンは、両方の世界を見たからこそあるシーンなのだろう。
一方で、元の世界に戻ったファミリーマン世界のジャックは何を思ってこの先どう生きていくんだろう。

不思議な世界を舞台にした物語はいろいろ妄想が膨らんでしまう。

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