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私がコーチングをする理由

コーチングは
「対話を重ねることを通じてクライアントが目標達成に必要なスキル・知識・考え方を備え行動することを支援するプロセス」
と説明されます。
そして同じくらい言われることが「目標達成のための行動変容」が最終ゴールであるということ。

私は今まで約150人のクライアントさんに携わってきました。
中には1年半以上ご一緒させてもらっている方もいます。

元と言えば、学級経営の中で必要なスキルだと思って始めたコーチング。
だから私のコーチングを提供したい対象は「小学生」でした。
でもなんだかんだ講座も頑張ったし、肩書きも合ったほうが後々良さそうだなと思って、認定コーチの資格をとるために大人の方も対象に提供するようになりました。

ー・・・認定を取れて尚、「大人」を対象とし続けているのはなんで
だろう。

確かに
「先生」を対象に学級経営をするにあたってお役に立てるだろう
とか
私自身がコーチングに助けられた分誰かの役に立ちたいな
とか
そういうぼんやりはあった。

私自身「自由・無垢」っていう感覚を生きる上で大事にしてるんですが、でもそれを大切にしようとすると、
「理想からの逆算」とか「目標達成のためのスモールステップ」っていうのが驚くほど相性が悪いんです。
ぱっと聞くとコーチングをやってる私が、その価値自体と真っ向逆をいく感覚。
だからきっと「なんでコーチングをし続けてるんだろう」っていうのにも繋がっていて。

でも改めて考えると、私がコーチングが好きなのは、この「理想」や「目標」すらも言葉じゃなくて息をするように自分のものにできるところなんです。
誤解の無いように言うと、こういうものって私にとっても大事ではあるんです。でも薄っぺらくこれらを語っちゃうと、語れちゃうものだからこそ、そういう話で私は人生をやっていきたくない。

今までがあったからこそ成り立つ今のワタシ。
これからなりたいワタシ。
・・・そこに本当に私はいるのか。
本当に生きたい自分なんて、実は虚像かもしれない。
そういう語れてしまう、自分軸と呼ばれそうなものが、1番私を窮屈にさせて、動けなくさせる時がある。

そんなん無くたって死ぬわけじゃない。
むしろあった方が、それに縛られて、死にそうみなることのがある。

「未来からの逆算」をしている時。
例えば
“本当に有意義にこの時間を過ごせたのか”
“たった2時間しかない中で生産性のある時間になったのか”
こういうのが自分のガソリンになって動けるようになるのか。
私は絶対にガソリンにならないタイプ。

自由だと感じるときに、私は今を生きている。
おいしい、とか、楽しい、とか、嬉しい、とか、きれい、とか。
逆算グセが働いているとき、私はきっとそれを感じることができない。
その消化不良が何より私を狂わせる。
逆算しようとするから、自分を冷ややかに見るし、同じように人のことも冷ややかに見る。

人によってもちろん違うけれど、
逆算の中で、私は愛は生まれない。

私はやりたいことも、得意なことも、大切な友達も、愛しい人も、夢みたいな職場も、大好きな子ども達も、ある。
逆算をして「もっと」になった私には、これでもお前は足りぬというのか、と言ってやりたい。

心が自由になる。
そのためには、今に自分をしっかりおくこと。
その今を生きるためにコーチングはそっと役に立ってくれることがある。

そんな自由で楽しい人がたくさんいる世界がいいじゃない。
そんな大人がいるところに、だいすきな子どもたちを送り出してやりたいじゃない。
そんな先生がいる教室に、子どもたちが居てほしいじゃない。

コーチングは正義じゃない。
求めている人のところに、届けばいいなって思う。
私がその一助になれたら。
これ以上嬉しいことはないかもしれないなあ。

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