⑥間違えたと言えなかった私 【メンタルボロボロになったので、とりあえず本に書いてある通りに自分と向き合う事にした。】
この記事はジェリー・ミンチントン著「うまくいっている人の考え方 完全版」(弓場隆 訳)に書いてある事を元に自分と向き合ってみる・実践してみる記録です。ここに辿り着くまでの経緯・私の脳内思考は下の投稿をご参照ください。
つい先日、彼と喧嘩をした。以前までは感情が大爆発したかのように、キーっ!ってなることが多かった短気な私。だが、最近は違う。最近は、冷静に話し合う方向へ持っていけるようになった。これが30歳になったということか・・・!と、自分の成長が誇らしい 笑
だが、喧嘩中の難しい行動のひとつが「自分の間違いを認める」ことだと思う。なんなら、お互い「けど、それって」と、かこつけて言い訳をしたり、論点をすり替えたりしてしまう事が多かった。
間違いを認めることで、自分が負けだと思ってしまったり、自分に非があると認めることと認識しているからであろう。眠りの小五郎(コナン)に問い詰められる犯人の様に往生際よく「そうだよ、探偵さんっ!」と認められたらいいのに、と何度思ったことか。
『うまくいっている人の考え方』では、自分の間違いを認めたがらないのは自分を責める気持ちにもう苦しめられているので、これ以上苦しみたくないからだと書かれている。
そう言われたら、確かにそうかもしれない。彼に対して嫌な言い方をしたという事実をわかっている時に、彼からそう言われたら「うん、ごめん。けど、そもそもそうなったのは・・・」と論点をすり替えてしまう事が多かった。
実際、この「ごめん」は、謝っているというより自分の論点に入る前の前置きでしかない。別に非を認めたって吊し上げをするわけじゃないのに、意地っ張りになってしまう。
そんな感じのファイティングスタイルを5年間程続けて、本当につい最近ようやく「そうね、私のこれがよくなかった。ごめんね」が言えるようになった。
きっと、本に書いてある通り「いつも正しくある必要はない」という気持ちと、長年の経験から「感情的になってもいいことがない」という考えが、ようやく行動に移されたのであろう。
このページに記載されている言葉で、腑に落ちたフレーズがふたつある。
・いつも正しい人が優れた人というわけではない。
・自分が犯したまちがいを進んで認められるということは、人間的に円熟している証であり、健全な自尊心の尺度である。
確かに、上司や先輩でも「あ、間違えました。すみません。」とハッキリ言える人の方が、人間的にできていると感じる。仕事ではできるのに、彼との間だとできなかったのは、きっと甘えだ 笑
先日書いた、最近過去の自分の言動を反省するのも、自分をフルボッコにするのではなく「こういうところがよくなかった。」と堂々と胸に収めておけばいいのかもしれない。
その時は認められなかったけど、今ならわかる。
そう今思えただけで、一生気付かないよりマシであろう。・・・人間度が少し上がった気がする。
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