描くことは見ること
図工は、色々な教科のなかでは、比較的人気な教科ではありますが、苦手な子もそれなりに多くいます。
そのような苦手な子の多くは、意外に思われる方もいるかもしれませんが「描けない」ではなく、「見れていない」です。
描くのが苦手な人は、気づいている要素が少ないので、似たように描けない。そして、思い込みが邪魔をして描けないということがあります。
例えばペットボトルを描くときに、気付きが少なく思い込みが強いと、ふわっとしたニュアンスでしか描けなくなります。
フタは丸い、四角いペットボトルより丸みがある、という思い込みだけで描く子供も多くいます(年齢によりますが)
そこで、一緒にここはどうなってる?ここはまっすぐ?と少し話をするだけで、思い込みが(多少)改善されます。
みることの大切さ
こんな授業をやったことがあります。
アートカード(色々な芸術作品が32枚入ったカード。教科書会社などが作っています)を使っての、ゲームフィケーション。
親は教師。
教師が32枚の中から、1枚選びます。
子供は班ごとに協力して、はいorいいえで答えられる質問を考えます。6班あれば6質問。
教師はそれに、はいorいいえで答えます。
子供はその回答から、教師の考えた1枚を探し出す、というゲームです。
数問やったあとに、好きなカードを一枚選んで模写をして終了。
この授業には、無意識的にカードを詳細に見るようにさせる、という目的があります。
ゲームにすることで、子どもたちは「カードをよく見なさい」と言わなくても、勝手に穴があくほど見ます。
そのように、細かく見る、という実感をもたせると、その後の模写も、ほとんどの児童が上手に描くことができます。
子供の感想も「絵がうまくなった気がした」「今までで一番上手に描けた」という言葉が多くあがります。
過去の経験や友人の教師の意見も聞くと、この展開の授業では、自治体や児童の実態に関係なく、そのような感想があがるということもわかりました。
「描けない」と「見れていない」を見分ける
「描けない」ということをもう少し噛み砕いて言うと、その画材が使えない、ということです。
もし、子供が、表現したいモチーフの特徴がわかっているのに描くことに困難を抱いていたなら、画材の変更を提案することもあります。
しかし、そもそもモチーフの特徴を捉えられていないのであれば、画材の変更を提案したところで、改善はされないでしょう。
なぜなら、その子は「描けない」のではなく「見れていない」のですから。
描けないと見れていないを教師が混同すると、声掛けも変わってしまい、子供を逆に混乱させてしまうかもしれません。
描くことは見ること、というタイトル。なんとなく実感していただけたでしょうか?
ちなみに、この考え方は、ぼくが発見したわけでもなんでもなく、前々から言われていることです。
より詳しい内容を知りたい方は、このような考えに関する書籍もあるのでご覧になるといいかもしれません。
絵が上手になるには、興味を持って見ることから始めるといいかもしれません。逆に教員は、興味をもって見たくなる手立てを行うといいかもしれないですね。