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【休職日記】突然休職した社員のその後#24
最近、創作活動への熱量が減っていました。
今休職していてそれどころじゃないのはあるかもしれません。
ですが、理由はたぶんそれだけじゃない。
義憤を感じることが減っていたからなんじゃないかと思います。
ぎ‐ふん【義憤】
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。
会社でヒーヒー働いていた時に筆が進んでいたのは、
会社文化に対する憤りや、仕事中心の生活を送らざるを得ない毎日への抵抗だったのではと思います。無意識に芸術に昇華していたのでしょう。
時間に追われ、体力も精神力もすり減らし、毎日都会の街並みを見て働く日々を過ごしていた私は、自然や人との心のつながりを強く求めていました。なので、「チル」や「リラックス」、「心のつながり」などをテーマにした作品が中心でした。作品に触れてくれた人を幸せな気持ちにしたいと思っていましたし、作るという行為を通して自分自身も癒されていました。
休職期間に入ってからは、毎日がチルで、むしろこの自分だけで過ごす24時間という時間をどう使っていいのかわからない、という世界に。
今までのような作品テーマには気持ちが向かなくなり、焦りました。
あれだけ絵に対して向上心があったのに、熱が冷めたようにひゅっと創作意欲が消えたのです。作品を描くために休職して旅に出ようとしてたのに、予定が狂って絶望的な気持ちになりました。
焦りを抱えながら実家に帰ると、豊かな自然環境と実家の家族の温もりが待っていました。和やかな時間が過ごせてるときは、心のつながりが満たされているからか、作品の創作自体から自然と離れていました。
しかし、帰るたびに起こる父との大喧嘩によって、ギリギリの精神の中に身を置いた時に、なぜかnoteの執筆がスゴイスピードで進んだり、新しい物語を思いついたりしました。これらも芸術になって昇華されているのでしょう。
そこから、実際にはないけど、もしあったら最高な設定がある物語だったり、癒されるものを表したりしようします。
つまり私の発想は、困難な状況があってこそ生まれるということです。
アーティストは幸せになっちゃいけない、と誰かから聞いたことがありますが、この体験がまさにこういうこと?なんでしょうか…
自分が何もかも幸せに満ちていたら、素敵な景色を見ても「わあ、素敵。」で終わっていただろうし、面白い話も思いついてもシェアしようとか思わないのでしょう。めんどくさがりな性格なので。毎日寝て過ごして終わりそう。
そう思うと、自分にないものや困難な境遇があることに
感謝をするような気持ちになります。
そうやって人生が面白くなっていけば、結構幸せです。
意味のないことって本当にないんですね。
人間て、おもろいな。