適応障害拗らせてパニック障害に。

どーも。双極性障害のうつ状態が酷すぎて毎日昼過ぎに起きて、小学生が下校する時間に登校しているアホ高校生です。
「怠けてるだけだろ」と言われればそれまでなのですが本当に起きられないのです。
元々朝が得意な方ではないのですが「朝起きられないのがこんなにしんどいとは…」と痛感しています。双極性障害について前回の記事で書いたので双極性障害について知りたいよという方は是非読んでみてください。

さて。前回の記事で僕は適応障害拗らせてパニック障害に。パニック障害拗らせて双極性障害になったと書きました。
なので今回は僕が双極性障害になる前になった適応障害とパニック障害について書こうと思います。僕の実体験を元に書きたいと思いますので是非最後まで読んでやってください。

まず適応障害についてお話しようと思います。
適応障害は僕の感覚ですが「頑張りすぎちゃう病」です。どういうことかというと何かと頑張りすぎちゃう人がなりやすい病気です。特に「気合と根性でどうにかしよう!」と思っている人ほどなりやすい病気です。
僕は今の通信制高校に転学する前は中高一貫の男子校で中学、高校と過ごしていました。
僕が適応障害の気を感じたのは恐らく小学生の頃です。僕は小学6年生の頃、クラスでいじめられていました。思い出さないように殆ど忘れましたが、敢えて書くと当時クラスの中で可愛子ぶりな女の子がいました。その女の子は周りの女の子から嫌われていていじめられていました。僕はその状況がどうしても許せなくてクラス全員を敵に回してその女の子を庇いました。
それからいじめの対象はその女の子から僕へと変わり、内容もエスカレートしていきました。
無視なんて当たり前。クラスの人たちは恐らく僕のことを空気かサンドバックとしか思っていなかったのでしょう。掃除中に「手が滑った〜」と言って水をかけられたり、給食の残飯を頭からかけられたりしました。
当時の担任に話はしましたが、ことを大きくしたくなかったのかいじめている主格の人たちを叱ることもなく「嫌なら距離を取りなさい」と言われただけでした。
僕が負けず嫌いで学校を休みたくなかったのと親が休ませてくれなかったので僕は登校を続けていました。
先にも言いましたが僕は中高一貫の中学、高校に通っていたので中学受験をしました。中学受験をするときに僕は塾に通っていたのですが塾から出る膨大な課題と学校でのいじめもあって僕のメンタルはボロボロでした。しかし僕は負けず嫌いだったのと、親にやらないと殺されそうな気迫で迫られていたので気合いと根性で無理やり頑張ろうとしていました。
先にも話しましたが適応障害は頑張りすぎちゃう病です。
この頃から眠れなくなったり、逆に眠りすぎてしまうことがあったり、食欲が減退し小学6年生にして体重が30kg台でした。そして学校や塾が嫌な場所になっていきました。学校に行こうとするとめまいがしたり、お腹が痛くなったりしました。
この頃にはもう僕は適応障害だったのでしょう。この段階でちゃんと受診をして適切な治療を受けていればここまで悪化することはなかったと思います。
中学に進学後も適応障害は良くなりませんでした。中学ではテスト前に出る膨大な課題と部活の忙しさに僕は疲弊していました。常になにかに追われている気がして休まることがありませんでした。
そして年月は経ち内部進学で高校に入学しました。高校進学後もなんとなく学校に行きたくないな…という日がありました。気合でなんとか通っていましたが、気合でどうにかなるものでもありません。僕は保健室に行ったりして学校をちょくちょくサボるようになりました。
そしてそんなある日、図書室で自習をしていると急に動悸がしてきました。息がどんどん苦しくなります。目の前が暗くなってきました。そんな状況が3分くらい続いたでしょうか。体感としてはもっと長かったですが、時計を見る限りそんなに時間は経っていませんでした。「疲れてるのかな…」と当時は思っただけでしたが、これが後のパニック障害になるとはまだ思っていませんでした。
そしてそれから数日後。その日は低気圧のせいで頭痛が酷くて保健室に行きました。養護の先生にベットで休む許可をもらいベットで横になっていました。するとまたあの発作がやって来ました。動悸がして息が苦しくなります。目の前がだんだん暗くなっていきます。身体が痙攣を起こしています。止めようにも止められません。助けを求めようにも声が出ません。ただただ苦しいです。そんな状態が15分くらい続きました。そんな状態でうずくまっていると「キーンコーンカーンコーン」と授業の終わりを知らせるチャイムが鳴りました。それを聞くと体を支配していた恐怖はスっといなくなりました。「やっぱり疲れてるのだろう」と思ったくらいで病院を受診しようとはまだ思ってもいませんでした。
それからしばらくするとなんでもないときにこの恐怖感に襲われることが多くなってきました。それは授業中だったり電車に乗っている時だったり家にいる時などいつ襲ってくるか分からないものでした。そして先生たちもおかしいと思ったようで学校の先生から親に電話をしてもらう形で親にも伝わり、心療内科を受診することになりました。心療内科に受診をすると「パニック障害です」と診断され、パニック障害の薬を飲むようになりました。この頃から不眠が酷かったので不眠症の薬も出してもらいました。精神病薬と睡眠薬は副作用が酷くとても眠くて授業中に寝てしまうことが多々ありました。そんな状態を分かってくれる先生と分かってくれない先生が居て、分かってくれない先生に怒られるなんてことがありました。授業中や電車の中などで発作が起こるので僕は授業に出るのが怖くなったり、電車に乗ることが怖くなりました。そして家から出ることが難しくなりました。そうは言っても家にいると親に「学校に行きなさい」と怒られるので家は出るのですが、親が仕事に行ったくらいに帰ってきて寝るなんていう生活をしていました。そんなことをしていてもバレるので結局怒られていました。

パニック障害は死にそうになるくらい息苦しくなる病気です。そして発作が起きる状況や環境を避けるようになり、行動範囲が徐々に狭くなっていきます。

長かったですが僕の適応障害とパニック障害のエピソードを並べてみました。
適応障害もパニック障害も時間はかかりますが治る病気です。ストレスの根源から距離を取る事で治りが早くなります。なのでもし今、適応障害やパニック障害で苦しんでいる方がいらっしゃいましたらその治療を続けてください。必ず治ります。僕のように拗らせて双極性障害などになってしまうともう治るかわかりません。なので身体の病気と同じく早期治療をおすすめします。何かおかしいと思ったら近くの心療内科に相談に行ってみてくださいね。
皆さんの心と体の健康を心より願っています。

アディオス

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