『先生がいなくなる』を読んで

PHP新書『先生がいなくなる』を読んだ。

著者は内田良、小室淑恵、田川拓磨、西村祐二。

教員の労働環境が問題視されて長いです。長いと感じています。

引用

 「何もおきないことが大事」であり、だからこそ「念のための業務は優先順位が高い」という構造ができあがる。そのために教員が作る書類の量が増え、ブラック校則でどこまでも自由を規制し、何も起こらないように監視する業務が教員にとって増える一方となる。

これは本書の第四章「学校の働き方改革が「先生以外の人たち」とも無関係でない理由」の内容の一部です。この章を執筆したのは小室淑恵さん。

公立学校の教員の労働環境の問題は、教育業界だけの問題ではありません。

余裕のある働き方をしなければ、影響を受けるのは子どもたちです。子どもたちは、未来の日本を背負っています。働き方、生き方、人としての在り方を示すのは、親と先生です。先生は、子どもにとって、初めて会う他人で大人ですものね。影響を受けるわけです。睡眠不足でイライラしてたら問題です。(私見が入っています)

校則が増える理由が詰まっています。自由があるから問題行動やマナー違反が起こる。再発防止のために禁止のためのルールを作る。それが繰り返された結果、ルールは増える一方。減らすこともない。そして、いつしかルールが作られた背景が忘れ去られる。何のためにあるのかわからないルールは廃される。さて、どのような問題が起こるのでしょうか。

「何も起こらないように監視する業務」は大切です。ただ、程度があります。ルールの目的を再認識できれば、ルールを残すか、廃止するか考えることができます。ルールによって生徒の生命や人権が守られているのなら、必要です。そうでないなら、廃止してもよいでしょう。ルールを守ることによって、何が守られているのかを考えなければならないのです。

「ルールだから守る」というのは、一理あると思うのですが、それだと、ルールを運用する立場になったときに困ると思うのです。自分たちのことを縛るルールについて考えることを放棄することは、民主主義を脅かします。極論でしょうか。

話がそれました。SNSの発達によって、コソコソすることを苦手にする人が増えました。
監視するのも楽ではない。教員はさ、子どもを監視するのが仕事ではないよね。子どもを見守りたいんだよね。キャッチャーインザライのホールデンかってな。
年代にもよるけれども(予防線)、トラブルに立ち向かうことが、人生を豊かにする。トラブルを無くしたり、大人がいつの間にか解決してしまうようになった。無痛社会に向かっているわけだ。子どもと大人の境目はほんとうは無いはずなのに、年齢できっぱり分けて扱おうとする。それは法的なものでしょうに。

ということで、子どもは、きちんと子ども扱いしましょう。そして一人の人間として向き合いましょう。監視するのも監視されるのも嫌です。行き過ぎれば、看守と囚人のような関係になってしまう。囚人のジレンマも見られるかもしれない。そんな学校には行きたくない。

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