勝海舟へのインタビュー

自身について

インタビュアー歴丸: 勝海舟さん、今日はお越しいただきありがとうございます。早速ですが、まずはご自身について、どういう人間だったのかお聞かせいただけますか?特に、ご自身の性格や生き方について、どう思われていますか?

勝海舟: ははは、わし自身についてか。面白い質問じゃのう。さて、わしは勝麟太郎っちゅう男で、のちに海舟と名乗るようになった。江戸っ子じゃが、生まれつきあまり格式張ったもんが好きじゃなかったな。そうじゃのう、わしは昔からちょっと変わり者じゃったかもしれん。人と同じことをするのが嫌でな、常に「もっと広い視野で物事を見たい」と思うておった。

性格は、まぁ、どうじゃろうな。頑固者とも言われたし、あまり感情的になることもなかった。冷静で、物事を遠くから見るように心がけていた。かと言うて、冷たいわけではないんじゃが、感情に流されるのが苦手でな、いかに理性を持って行動するか、常に考えておったよ。人からは「冷徹な現実主義者」とも言われることが多かったが、わしとしてはそれが当然じゃと思うちょる。

インタビュアー: 「現実主義者」としての側面は、あなたの数々の業績にも表れていますね。ご自身の生き方や判断の根底には、どのような信念があったのでしょうか?

勝海舟: わしの信念か。うん、わしは何よりも「大局を見ろ」という言葉を大事にしておった。幕末の時代は、皆が目先のことにとらわれて、喧嘩や対立が絶えなかったが、わしは常に「この先の日本はどうあるべきか」を考え続けておった。わしにとって大事なのは、個人の利益や名誉じゃなくて、日本という国がどうやって生き残るか、どうやって新しい時代に適応するか、そういうことじゃった。

例えば、無血開城の時も、幕府の誇りを守りたいという声は多かったが、わしにとってはそれよりも「未来の日本」がどうなるかが一番重要じゃった。江戸を守っても、日本が滅んでしまえば意味がないきのう。

あとは、外国の力を過小評価せんことじゃな。わしは早いうちからオランダに渡って西洋の技術や考え方を学び、そこから得た知識がわしの考えの基礎になっちょった。列強の脅威がどれほどのもんか、わしは肌で感じておったから、それに対抗するために日本をどう強くするか、常に頭にあったんじゃ。

インタビュアー: 幕末の動乱の中で、あなたは日本の将来を見据えて行動されていたのですね。最後に、海舟という号についてお聞かせください。どうしてこの名前を選ばれたのですか?

勝海舟: ああ、それか。海舟というのは、わしの生き方そのものを象徴しとる名前じゃ。海は広いじゃろう?何も遮るものがなくて、果てしなく広がっておる。わしはいつも、そんな広い視野で物事を見たいと思っておったんじゃよ。舟というのは、海を行くためのもんじゃが、同時にどこへでも行ける自由を意味する。海を渡って、いろんな国を見て、いろんな考えを知る。それがわしの生き方じゃ。

わしは何も、ただ日本にこだわるつもりはなかった。外国を知り、彼らの力を理解し、その上で日本をどう守るかを考えよった。海のように広い心と、舟のような自由さを持って進むこと、これがわしの願いじゃったんじゃよ。

インタビュアー: あなたは幕末から明治にかけて、まさに時代の転換点を生き抜かれました。まずは、江戸無血開城についてお伺いしたいと思います。西郷隆盛との会談を通じて、血を流さずに江戸を守ることに成功しましたが、実際には列強の圧力があり、無血開城は避けられなかったという見方もあります。これについて、どうお考えですか?

無血開城の列強について

勝海舟: まあ、確かに列強の動きが背後にあったことは否めん。あの時代、欧米諸国は日本が内戦で弱体化することを望んではおらんかった。もし幕府と新政府が大規模な戦を起こしていたら、その混乱に乗じて介入される恐れも大いにあった。だからといって、全てがその圧力だけで決まったとは思わんよ。わしと西郷との交渉には、そういう国際情勢ももちろんあったが、最も大事なのは、我々日本人自身がどういう未来を描き、どう生きるかを決めることじゃ。

インタビュアー: では、無血開城におけるあなた自身の役割についてですが、列強の圧力を受けながらも、交渉を成功させるためにどのような工夫をされたのでしょうか?特に、西郷隆盛との個人的な信頼関係が大きな要因だったとも聞きますが。

勝海舟: そうじゃな。西郷とは何度も腹を割って話したが、やつもまた、日本を思う心があった。それに、互いに「戦を避ける」という共通の目標があったことが大きい。わしは、ただ単に江戸を守るためではなく、日本全体を内乱から守るために動いちょった。西郷もそれを理解してくれたし、あいつも戦で日本を焼け野原にする気はなかったからこそ、話が通じたんじゃ。

工夫っちゅうほどのことはないが、とにかく「お互い、長い目で見て日本の未来をどうするか」を常に考えた。それがわしらの共通点じゃったな。

インタビュアー: それでも、やはり無血開城を実現させるのは大変だったかと思います。幕府側には、抵抗を主張する声もあったはずです。どうやってその声を抑えていかれたのでしょうか?

勝海舟: そりゃあ、簡単なことではなかった。幕府側にも「武士としての誇りを守るためには戦うべきだ」という意見は多かったし、わしもその気持ちはよう分かる。けんど、わしにとっては、江戸の町民や民衆の命を守ることが最優先じゃった。武士の誇りは確かに大事じゃが、それ以上に守らんといかんもんがある。わしは、何度も説得し、最終的には「この戦いに勝っても、何が残るのか」を冷静に考えさせたんじゃ。

江戸を焼き尽くしてしまえば、何も残らん。その後の復興すらままならん。それを理解させるのに、時間はかかったが、やっとのことで納得してもらえた。

インタビュアー: 実際のところ、江戸を守るためにあなたは多大な努力をされましたが、列強の影響や国際情勢がなければ、江戸は戦場となっていた可能性が高かったでしょうか?

勝海舟: そうじゃな、もし列強が介入する恐れがなければ、もっと激しい戦になっていたかもしれん。じゃが、それでもわしはやはり無血開城を目指していたじゃろう。日本の未来を思えば、武力に頼ることが最良の道ではないと信じておったからな。幕府の存続に固執することなく、新しい時代を迎えることが重要じゃと感じておったし、それが日本の独立と繁栄につながると信じちょった。

インタビュアー: 最後に、現代の日本をどうご覧になりますか?今の日本人に向けて、どんなアドバイスをお伝えしたいですか?

勝海舟: 今の日本は、わしらの時代には考えられんほど発展しとる。それは大変喜ばしいことじゃ。けんど、現代の日本人は、少し自分の国や伝統に対する誇りを失いつつあるようにも見える。外国から学ぶのは良いことじゃが、自分たちの文化や歴史を軽んじてはいかん。

わしからのアドバイスは、「自分の足で立て」ということじゃ。列強の圧力に屈することなく、日本人が自分たちで決断し、道を切り開いたように、今の時代もまた、他人の意見に流されることなく、自分の信念を持って進んでいくことが大事じゃと思う。時代が違っても、それは変わらんよ。

インタビュアー: ありがとうございました。あなたのお話から、今も変わらぬ大切な教訓を得ることができました。

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