虐待ちょっと
こんにちは、りんかい先生です。
ちょっとだけ、虐待の話しますね。
子供を「 責める 」挙句の果てに、命を奪う。
それを報道で知り、虐待した親を人々が「 責める 」
文字上は、同じ「 責める 」です。
我が子を殺した親は、産んでから死ぬまでの間に
抱っこして「 愛しい 」と感じなかったのでしょうか?
もし一度でも感じ、結果として虐待だとしたら、悲しいことです。
出産してから一度も愛しいと感じて無かったとしたら・・・親子は絶対で無い証になり、これも悲しいですね。
小さな子の虐待死報道を観て、多くの人は嫌な気持ちになります。
その嫌な気持ちはストレスです。
ストレスを発散したくて、誰かを責めたくなります。
ネット上で怒りの声を上げます。
凶悪犯の求刑、世間の反応でよくあるのが。
「 人殺しは殺すべきだ! 」
精神疾患や発達障害の方で、「 普通 」を天上世界の様に感じてる発言を見かけたりしますが、私的には不条理こそが普通・当たり前だと感じています。
虐待報道で、沢山の怒りが社会に渦巻き、ネットで批判が起きます。
捕まった後の親は、スマホを持ってません。
殺した親に人々が責める声は、届いていません。
( 行政に関する事は、この文では省きます )
人々だけの間で、伝わらない怒りを、伝え合い増幅させてるだけの現象。
ひとしきり怒りを発散した人々は、静かになります。
次の事件や芸能人のスキャンダルを待機している状態です。
私は今、この文章をパソコンで入力してるのですが、外で小さな子が殴られたり、老人が転倒していても解りません。
少子化が進み人手不足とは、社会の死角が増える事を指します。
監視社会の中で、自分の目で物事を確認せず、大衆優先型メディアだけで社会の動きに一喜一憂していく時代が進んでいきます。
死んだ子は可哀想だと思います。
殺した親も可哀想だと思います。
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近代の哲学・精神の問題は
「 マイノリティーの数が、マジョリティーを超える」
ここにあると思います。
私は個人主義ですが、普通の人は個人主義に耐えれません。
ですので「 人って普通は独りでしょ 」という常識は生まれません。
考える力も才能によるところがあります。
これまでの時代は「 しがらみ・人付き合いの煩わしさ 」が当たり前でしたが、その代わりに「 近所付き合い・親戚付き合い・一族経営の企業 」が、村八分はするが大体は助け合うので、まあ生命の安心感は保てる。
マイノリティーでさえなければ、考えなくて済んだ。
老人の孤独死どころか青年・子供の孤独死に進みかねない、これからの時代は「 スマホを頼りに道に迷う 」
私は人に道を聞くのが面倒くさいタイプですが「 人に道を尋ねる発想すらない 」そういう人が増えていく。
スマホで検索→見つからない→アプリを探す→見つからない。
見つからない見つからない見つからない゚゚(゚´Д`゚)゚
「 目の前にあるのに見つからな~い 」
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家に居て独り、外に出ると人通りが無い。
たまに人を見つけても、声を掛けれない。
孤独に悩む。
悩むだけで考える力がないので、ただ苦しむだけ。
そのストレスを、僅かな繋がり親子でぶつけ合う。
考える力が無いのに、考えなければいけない世界で、考えられない。
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まあそういう訳で、考える力を伸ばしたい方は、りんかい先生を訪ねてきて下さいねw
もうあなたには、見つからないかもしれませんが・・・