
雑司が谷散人の街道遊歩 0433
西浦賀道 1日目-06 2018.7.24
鎌倉五山第一位の建長寺前を通る浦賀道。
この建長寺の山号が巨福山。
この先の鶴岡八幡宮へ下る坂が巨福呂坂。
先程通ってきた小袋谷の地名に通じるものがある。

建長寺前を過ぎると、巨福呂坂。
今の県道は明治期に開かれた新道で、旧道は右手の崖上から西側の谷地へ回り込んでいた。
今は坂下側からであれば旧坂の途中までは辿ることができる。
落石防止のアーチ状の梁を施した洞門は、平成5年から。

巨福呂坂を下り、鶴岡八幡宮西側を進む浦賀道。
自動車のお祓い所の向かい側に、巨福呂坂旧道への入り口がある。
巨福呂坂は鎌倉七口のひとつ。
鶴岡八幡宮西側には他に亀ヶ谷坂、化粧坂があるが、七口の呼び名は「京の七口」をもじったもので、江戸初期の文献が初見だとか。

かつての鎌倉街道の起点は明確に定まっていたわけではなさそうだが、やはり鶴岡八幡宮がその位置付けにはふさわしいのだろう。
浦賀道も八幡宮境内に入り、若宮大路へと向かう。

由比ヶ浜から鶴岡八幡宮への参道となる若宮大路。
大路の中央部分が一段高い歩道になっているが、これを段葛という。
浦賀道は若宮大路を下馬交差点まで下る。

若宮大路右手に見える出桁造りの商家は、昭和2年築の三河屋本店。

三河屋本店の少し先には、昭和11年築の湯浅物産館。
横浜の貿易商社を模したという看板建築。
貝細工の製造加工と卸売の店舗として使われた。

若宮大路を鎌倉駅入口まで下ると、大きな二の鳥居。
由比ヶ浜と鶴岡八幡宮のちょうど中間点。
関東大震災で倒壊するまでは、将軍家綱寄進の石造鳥居だった。

この後鎌倉駅へ出て、西浦賀道の旅1日目を終了。