ここが私のANOTHER SKY 【前編】
オーストラリアでワーホリ中🇦🇺
旅人担当のズーミンです👍
皆さんはANOTHERSKYというテレビ番組をご存知ですか?
各回の著名人や第一線で活躍している方をゲストに呼び、彼らの思い出の地を振り返る番組です。
そして去年の4月、僕は自分のANOTHERSKYについて考える機会がありました。
2022年4月。
埼玉県出身の僕が、愛媛県のゲストハウスで住み込み生活を始めてから2週間が過ぎようとしていた。
その日泊まったゲストは30代後半の男性。
長年勤めた会社を最近退職した彼は、リモートで働けるフリーランスとして活躍しながら日本を旅していた。
宿には彼と僕と、これまた旅好きのゲストハウスの管理人の3人だけだった。
旅を愛する3人で夕食を囲んでいれば、話題は自然と旅へと移る。
これまで訪れた場所、これから行きたい場所、美しかった風景や美味しい食事……
Googleマップを広げれば旅の話題は尽きることがない。
そんな中、ふと誰かが「思い出の場所ってどこだろう?」と口にした。
思い出の場所……すなわちANOTHERSKYはどこだろうか?
それぞれが思い思いに考える。
もれなく僕も考える。僕にとってのANOTHERSKYはどこか?
初めての海外だったフランス・パリ。
住みたいと思ったスペイン・バルセロナ。
異世界を感じたトルコ・カッパドキア。
様々な旅の思い出が僕の胸を去来する。
時に感動し、時にイラつき、時に圧倒されたこれまでの旅の記憶。
いずれもかけがえのない大切なものだ。
その中で僕が選んだANOTHERSKYは伊豆大島だった。
2018年4月6日 22時。
僕は東京・竹芝桟橋にいた。
月100時間もの残業があった会社の繁忙期をなんとか乗り越え、リフレッシュのために伊豆大島へ1人旅に行こうとしていたのだ。
今でこそ慣れたものだが、実はその時こそが人生初の1人旅だった。
見送ってくれた友人と別れ、1人深夜便に乗り込んだ。
雑魚寝する2等寝室に荷物を置いて甲板へと出ると、まだ肌寒い4月の夜風が興奮冷めやらぬ僕の体を心地よく撫ぜる。
ややもすると大都市の夜景が流れ出す。
東京タワー、レインボーブリッジ、お台場……
シャッタースピードを遅くしたカメラのように、色とりどりの光の跡が僕の瞼に焼き付けられる。
散々悩まされて苦しみもがいた仕事から離れていく。辛い日々が遠くなっていく。
少しの安堵と未知への大きな期待を胸に、小さくなる明かりを見届ける。そして僕は大部屋に戻って眠りについた。
翌朝6時。
船のアナウンスで目を覚まし、目指す伊豆大島が近いことを知る。
寝ぼけ眼で甲板に出るともう島は目の前で、朝を告げるカモメの声で溢れかえっていた。
急いで下船の支度をして伊豆大島へと降り立った。
僕の乗った船が着いたのは北側の港で、宿泊予定の宿をはじめとした中心地は西の港にあった。
西の港まではバスが出ていたのだが、トイレでコンタクトレンズに手間取っている間にバスは出発してしまった。
西の港までは7㎞ほど。次のバスは2時間後。仕方ない。別に急ぐ旅でもなし、歩いて行こう。
そう思い歩き出したのだが、誤算が2つあった。
1つは荷物の多さ。もう1つは道の起伏。
おかげでしばらく歩くと大量の汗をかく羽目になった。このまま進んでいくのはあまりにも大変だ。
そこで僕は人生で初めてヒッチハイクをした。
幸運にも2台目で軽トラが泊まってくれ、僕は嬉しさで顔を満面の笑みにしながら駆け寄った。
乗せてくれた方は気さくな男性で、千葉県に僕と歳の近い息子さんがいると話してくれた。
男性との会話は10分ほどだったと思うが、人生初の一人旅、人生初のヒッチハイクは僕にとって忘れられないものの一つだ。
あっという間に西の港に着き男性と別れた。
さて、何をしようか。幸いなことに何も決まっていない。全ては心の赴くままに、だ。
昨晩船で過ごし、先ほど滝のような汗をかいた僕は、まずシャワーを浴びたいと思った。
調べてみると、都合のいいことに近くに温泉がある。
御神火温泉というこれまたかっこいい名前の温泉で汗を流しながら、今日の予定を組み立てる。
(朝食を食べ、宿に荷物を置いたらレンタサイクルで島を一周しよう)
サッパリして温泉施設から出ると、近くに海鮮を扱う定食屋があった。そこで今朝獲れた魚を使った海鮮丼をいただく。
腹を満たし、身なりを整えて準備は万端。
宿にチェックインしてレンタサイクルについて聞く。
すると宿のご主人は、島を一周する反時計回りのルートと共にいくつかオススメのスポットを教えてくれた。
地層大切断面。美味しいコロッケやたい焼き。裏砂漠。夕陽の美しい道。美味しい居酒屋……
彼に感謝を告げ、この旅の自転車と出発する。
最初に立ち寄ったのは伊豆大島火山博物館だった。
立派な建物に惹かれ中に入ると、年配の男性が声をかけてきた。
聞くと、彼はガイドらしく無料で館内の展示品について説明をしてくれるとのこと。
地学が好きな僕は喜んでお願いし、客のほとんどいない館内を回りながらいろいろな話を聞かせてもらった。
中でも印象に残ったのは1986年の噴火。
僕が生まれる前のこととは言え、恥ずかしながら全く知らなかった。
当時の写真も残っていてその凄まじさを物語っていた。
彼と博物館に別れを告げ、道をさらに進んでいく。
すると突然、地層大切断面が現れた。
大地がうねる、という表現はあまり聞かないが、そうとしか言いようのない光景に呆気にとられた。
こんな大自然の脈動が600m以上も続いているのだ。
その想像以上のスケールに地球の力強さを感じた。
尚も進んでいき、貝の博物館や南の港を通ってゆく。
時刻も昼頃に差し掛かり、焼肉丼を食べたり宿屋オススメのコロッケを食べたりした。
南の港を過ぎると、後は北上していくことになる。そしてここからが、この旅で最も過酷な時間となった。
山道が始まったのである。
晴れ間も見え日差しが降り注ぎ始めた午後2時過ぎ。
延々と続く登り坂に、僕は悪戦苦闘していた。
漕げども漕げども進まない自転車。
ペダルは重く、日差しは強い。
滴り落ちる汗を何度も拭いながらカタツムリのように進んでいく。
一体どれくらい漕いだだろうか。
あまりにも大変過ぎて、ZARDの「負けないで」を聴いていると、ふと、看板が見えた。
とうとうここまできたのだ。
裏砂漠入り口を過ぎれば、後はほとんど下りになる。
果てしなく続くように思えた登り坂ももう終わりだ。
そして、日本で唯一砂漠の名を冠するこの場所に入ろうと思った時、ふとある考えが頭をよぎった。
(ここに入ったら夕陽に間に合わないのでは?)
登り坂の苦戦もあり、夕陽を見ながら自転車で走るには裏砂漠を探索している時間がない。
僕は泣く泣く、砂漠の前で写真を撮ってその場を後にしたのだった。
そこからは速かった。
車のあまり通らない道路を、ブレーキもほとんどかけずに駆け下りる。
先ほどかいた汗も、心地良い風により乾いていく。
苦労の後の爽快感は何よりも気持ちいいものだ。
そしてあっという間に北の港に帰り着く。
今朝ここに到着したというのに、まるで長い長い旅を終えて故郷に帰ってきたかのような心境だった。
下り坂を飛ばしてきたおかげで夕陽との約束にも余裕がある。
一息つこうと思い、近くのお店に入って大島牛乳アイスを買い、店内で食べる。
閉店間際の店内には女性客が2人いるだけで、騒がしくもなく実に穏やかな心持ちだったことを覚えている。
なめらかで濃厚なアイスを味わった後は、いよいよ夕陽に会いに行く。
またも相棒に跨りしばらく漕ぐと下り坂になった。
そして坂を下り切り道を曲がると、そこには傾いた太陽がいた。
どうやら約束に間に合ったようだ。
そこから待望の、夕陽との並走が始まった。
彼は水平線へ、僕は宿へ向けて。
途中何度も強風によろめきながらも、彼と相棒と過ごした時間は今なお昨日の事のように思い出せる。
そんな夢のような一時を過ごして、夕陽が水平線にかなり近づいた頃、目の前に温泉が現れた。
今日一日、相棒と共にたくさんの汗を流し、強風で少し体が冷えていた僕は、温泉の存在に歓喜した。
そして近づいてみると「要水着着用」と書いてある。
水着……持ってないけど借りれるだろうか?
ダメ元で店員に聞くと借りれるという。
これは僥倖……!
しかも浴場は海と夕陽に面していて、カメラの持ち込みもOKだという。
早速水着を借りて汗を流し、スマホを持って海に面した露天大浴場へ行く。
露天風呂は男女混浴でかなり広かった。
そして眼前にはもうじき沈みそうな夕陽が、最後の輝きで海と僕たちを照らしていた。
夢中で写真を撮ってひと段落すると、周りを見渡す余裕ができた。
老若男女、みな思い思いに時を過ごしている。
その中で、見覚えのある2人組の女性が、僕からそう遠くないところで夕陽をバックにたくさん写真を撮っていた。
あれはもしや……と思い2人を見ていると、どうやら自撮りに苦戦しているようだった。
少し不躾かな?とも思ったが、意を決して「2人のお写真撮りましょうか?」と声をかけた。
2人は少し驚いた様子だったが、ややあって「大丈夫です」と断られた。
それならいいか、と思い少し離れてまた夕陽を眺めていると、「やっぱり撮ってもらっていいですか」と2人に声をかけられた。
2人の写真を撮り、僕もまた写真を撮ってもらった後、またも意を決して話しかける。
「もしかして、北の港でアイス食べてました?」
え?という反応と共に少し不審そうな目を向けられたが、返事は「はい」だった。
そしてそこから、この旅行のことを皮切りに雑談が始まった。
日も暮れ、温泉を出る頃には結構仲良くなっていたので晩ご飯のことを聞くと、予定は決まってないという。
宿屋の主人から教えてもらった居酒屋があることを伝えると興味があるとのことで、準備してから一緒に行くことになった。
真っ暗な海の潮騒が聞こえる、中心部から少し離れた道沿い。
その居酒屋はポツンと寂しげに建っていた。
恐る恐る扉を開けると店内には客はなく、店主が対応してくれた。
3人で席に座り話しながら料理を食べていると、ポツリポツリと客が入り始めた。
その中には宿屋の主人もいて、地元の客らしきお兄さんとしばらく話していたが、そのうち僕を見つけて声をかけてきた。
「今日どうだった?」
「おかげさまで最高でした」
「裏砂漠行った?」
「時間なくて行けませんでした……」
「あ、そうなの?じゃあ明日行こう!」
そう言うと宿の主人は振り返り、先ほど話していた地元のお兄さんに声をかけて
「明日彼も裏砂漠連れてってくれない?」
と言い放った。
お兄さんも「良いっすよ」と二つ返事で引き受けてくれた。
こうして僕は、ご主人とお兄さんのご好意によってあれよあれよと2日目の日程が決まったのだった。
ちなみに僕といた女性2人は、明日は行きたいところがあるということでパスだった。
明日の集合時間や場所を決めて解散して、宿に帰った僕は、1日の疲れと酒もあって泥のように眠ったのだった。
【後編へ続く】