見出し画像

傷にはケアが必要なのだ-能力主義に物申す3冊-

このポストが勅使川原真衣さんとの出会いだった。

"能力主義と競争を強いられてきた40代以上の傷つきにも目を向け、だれかが傾聴してケアすることも必要でしょう。その世代が、靴擦れしたまま同じ靴をはき続けてきたことに、若者は気付いています。"

傷には手当てが必要です。

勅使川原真衣さんのXポストより

傷つき、傾聴、ケア。。。靴のたとえから、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』が思い浮かぶ。

そっか、他人の靴を履いてみるどころか、靴擦れしたまま同じ靴をはき続けている人のほうが多いのかもしれない。。。

傷には手当てが必要。靴擦れで痛む足のまま他人の靴を履くなんて無理だ。

その後、検索して、勅使川原さんの初めての著作と2冊目の新書の存在を知り、まずは、『「能力」の生きづらさをほぐす』を読むことにした。

ほどなくして本が到着。見慣れたアマゾンの茶封筒を開封し本を取り出すと「執筆伴走 磯野真穂」という文字が目に飛び込んでくる。んん???すぐに本棚に目が行く。
『急に具合が悪くなる(哲学者宮野真生子 人類学者磯野真穂)』

たくさん並ぶ本たちの中でも、特に大切にしている本である。驚きでもあり、勝手にご縁みたいなものを感じた。

さて、再び『「能力」の生きづらさをほぐす』に戻る。
帯に「4刷出来!」の文字が躍ることからも反響の大きさがわかる。
ここで、私のつたないまとめを入れるよりも、この本を紹介するWEB記事がたくさんあるので、そちらをシェアさせていただく。

表紙をめくると「これは、死んだ母が子に贈る、『能力』についてのちょっと不思議な物語である」とある。今から15年後を舞台に、ゆうれいになった母さん(こと筆者)と大人になった子どもたちとが「能力主義」社会の中でいかに生きるべきか考えていく……という設定だ。

三田評論ONLINE記事より

詳細はWEB記事に譲るとして、どうしても「おわりに」から引用したい。

より高みへ(序列化)、よりオールラウンダーに(万能化)、縦に横にと触手を伸ばす「能力」。競争に勝つことを謳う商品は絶えず売り出され、果てしなく「あなた走りない・あれが足りない」と「欠乏」を突きつけてくる。
 対する個人は、生かされるも、殺されるも「能力」次第と信じて、孤軍奮闘。頑張りが足りないとされる人は給料で差をつけられたり、時に「病んだ」として、休職などの戦線離脱、誤解を恐れず言えば、「排除」がなされても、甘んじて受け入れざるをえない。
 この状況が好転しつつあるのならまだしも、事態はより複雑化している。こうした「線引き」の代表格「能力」を否定する言説すら台頭してきているのだから。一見喜ぶべきことのようだが、目を凝らされたい。たとえば、『能力』が高い=『役に立つ』よりこれからは『意味がある』の時代だ」などという意見。お気づきのとおり、「能力」を否定しても、異なるものさしを出してくる限り、同じことなのだ。「これには意味があるんだろうか?」
「あれには意味がないからダメだ」と嗅ぎまわる人々―分断の軸が見えにくくなった分、より疑心暗鬼な姿は、美しさにはほど遠い。
 もう今以上分けなくていい。分けるから、わからなくなる。ただ精一杯生きることは、なにかを分け隔てて解釈することを必要としない。
 と、語気を荒げたものの、本当はただ残念な気持ちの裏返しだったりする。なぜなら誰も最初からこのありさまを目指して、自己や他者を蔑ろにしたわけではないからだ。他者と、生きる希望を与え合う存在として、ともに生を織りなすことを望んできたはず。それがいつの間にか、人との関係性を置き去りに、個人の内面を深掘る方向性ばかりが「科学的」「客観的」として、圧倒的に重用されるようになった。結果、我々の眼前に広がるのは、いきいきとした個人と、その集合体がつくる希望あふれる社会⋯⋯は夢のまた夢。生み出されたのはむしろ、手のつけられないほどの個人主義的な人間観、自己責任論と言っても過言ではない。
 「なんてひどい話」と言うは易し。容赦ないようだが、私たちも被害者面ばかりしていられない。無自覚な能力論への服従、言うなれば能力信奉といった分断の軸をありがたがることは、「排除の正当化」という片棒を担いでいると言えるからだ。こうした信奉を捨てない限り、「多様な正しさ」は成立しえず、あれよあれよという間に「多様性」や「全体性」の体現とは真逆の方向へと猛進する。こうして今日も、達成されない「ダイバーシティ&インクルージョン」は、最先端のおとぎ話のごとく、もてはやされ続ける。すぐそばに、くたくだな個人がいるというのに⋯。
 それでも私たちは健気だ。くたくただろうが、朝はまたやってくる。こうなると、残された手立てはこれしかない――問題に気づいても感じないふり、堪えていないふりをして、「なかったことにする」のだ。感じるために生まれてきたのに、感じないようにしないと生きられない。これを当たり前、世の中そんなもの、と親は子の背中をさするしかない⋯⋯わけがない。
 能力論のしぶとさをつとに知る「母さん」は、立ち上がる(ゾンビか)。微力も微力ながら、世直しのきつかけになればと、執念を燃やして生まれたのが本書だ。本当にしぶといのは、能力論ではなく、母さんのほうだ⋯⋯と思ったあなた。大正解です。

P256-258「おわりに」より引用

どうだろう。とても強い、愛とパワーを感じるのは私だけだろうか。

大学生息子と高校生娘の2児の母ということもあり、どうしても母目線で読んでしまう。まあ、そこはしかたない。
「成人した我が子たちが生きる時代に、個人に無限の努力を強いるような社会は残したくない」
共感しかない。
そして、エピローグのマルちゃんが高2の娘と重なる。。。

あまりに自分の関心と通じるところがあったので、続けて新刊の『職場で傷つく』、新書の『働くということ「能力主義」を超えて』を矢継ぎ早に読んだ。「伝えたいこと」のコアな部分は3冊とも通底していると感じた。

あくまでも個人的な見解だが、2冊目の『働くということ』は、「選び・選ばれる」という視点からの考察が肝である。ケーススタディが豊富で、各メンバーの「能力」ではなく、発揮しやすい各個人の「機能」の見極めとその組み合わせ方の勘所を探究できるような感じなので、組織でのチーム作りやどんな人を採用したらいいのか、まさに今困っている方が読むとヒントがたくさんあるのではと思った。ただ、理想論だよねって感じる人もいるかもなとは思った。能力主義が強力に染みついているから。そこから逃れられる気がしない、そんな人もいるだろう。だって傷ついても、弱さを見せられない社会だから。気づかないふりをした方が楽だから。

 人は誰しも組織内外の他者とともに動き、その動きに支えられながら生きています。賃金を得る労働のみならず、ケアや利他学の観点から言ってもそうでしょう。(中略)
 もともと人と人とのつながりの話なので、個別性が高く、またビジネスと言ってしまうと「企業秘密」ということばがあるように秘匿性も高いため、無理もないのかもしれません。社会に生きる人のほぼすべてに関係していることなのに、「仕事」論となると、もっぱら戦略の重要性を説くものや、赤字企業の立て直しの物語(『ザ・ゴール』シリーズなどは最たるものでしょう)や、労働市場で個人が生き残るための「〇〇力」獲得を称揚するよう
な指南本が主力ではないかと思います。「働くということ」の内情を、掘り起こして文字にすることは、いわばちょっとしたタブー、パンドラの箱と言ってもいいのかもしれません。したがって、職場の機微を描くのは、むしろ文学作品の本領。八木詠美『空芯手帳』が太宰治賞を受賞したり、高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』が芥川龍之介賞を受賞したりといったことは、頷けます。組織論に多少は明るい筆者が読んでも、「職場って、仕事って、ほんとそういうとこあるよねぇ」「特に、『選ばれる』ってそういう残酷さあるよねぇ」に満ち満ちていますから。
 だからと言ってこの現況に、何ら問題がないとは思えません。(中略)他者とともに動く、すなわちは「働く」という根源的な営みこそが、多くの人にとって「生きづらさ」の火種になっていることは紛れもない事実だからです。労働者にうつ病が増え、それに伴い休職や自殺者数が増加。(中略)職場での生き残りを賭けた攻略本は雨後の筍状態。それだけ皆が悩んでいて、攻略本を手にとる。けれどなかなか解決しないから、いつまでも手を変え品を変え指南書が出続ける。「働くということ」のしんどさの軽減を謳う産業は、もはやダイエットのようなコンプレックス産業に近いものを感じてしまいます。

P157-P159, 第三章 実践のモメントより

「働くということ」の内情を、掘り起こして文字にすることは、いわばちょっとしたタブー、パンドラの箱。職場の機微を描くのは、むしろ文学作品の本領。。。『世界文学をケアで読み解く』という小川公代さんの本があるが、大きな声に社会が支配されているその裏側で、リアルな声、小さな声は、文学作品の中にひっそりと息づいているのかもしれない。

続いて、『職場で傷つく』。能力主義信奉からくる生きづらさをほぐすデビュー作の次に、能力主義を超えて働くにはどうしたらいいかというところを紐解く2冊目がきて、いやいや実践の前に、誰もが当事者である自分の「傷つき」に自覚的になること、そして傷つきをなかったものにせず、手当て(ケア)が必要であるよ、ということに気づかせてくれる3冊目。気づきとともに、各自が能力主義の壁を越えて、それぞれの場所で変革者になる道筋を照らしてくれる本でもあると思った。

いずれの本も最初に全体の構成が明示されていて、ロジカルな構成になっていて、文体がカジュアルなので、読みやすく、するする読める。そして、どの本にも、独特のユーモアと少し暑苦しいくらいの(ほめてます)のおもいがあふれていて、勅使川原さんの愛とパワーが詰まっていた。

話は逸れるが、最近、「静かな退職」なる言葉を耳にした。Z世代を中心に広まっているそうだが、日本では、40代、50代のミドルシニア世代が「静かな退職」状態になっているという。

”能力主義と競争を強いられてきた40代以上の傷つきにも目を向け、だれかが傾聴してケアすることも必要でしょう。その世代が、靴擦れしたまま同じ靴をはき続けてきたことに、若者は気付いています。”

勅使川原真衣さんのXポストより

再びこのポストが浮かぶ。

人間なんて、もともと、自分勝手だし、めんどくさいし、ややこしいし、傷つきやすいし、たったひとりでは生きていけない弱い存在なのだと思う。無理やりルールで縛ってつくられた秩序はいつか崩壊するし、能力主義や競争を強いたところで、社会経済的価値が誰もが納得するような適切に分配されることはない。

関係性がうまくいかないとしたら、それは、個人の能力不足ではなく、組織の機能不全。競争ではなく、助け合って生きていくことでしか、多様で、多面的な人間がそれぞれに心地よく共に生きていくことはできないのだ。

勅使川原さん、本の出版スピードもすごいが、それに伴い、出版記念イベントも続々と開催されている。

先日は、「『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)刊行記念 勅使川原 真衣×近内悠太トークイベント 「他者と働き、他者とつながるということ。」というイベントにオンラインで参加した。

近内さんがいつものマシンガントークで、司会者くらい取り回しがうまくかったなw 初めて見る、動く勅使川原さんは、イメージ通りの方だった。

そして、お二人の共通点が「野良」ってとこに、ちょっと笑ってしまった。私には論文や専門書はちょっとハードルが高いので、一般書を書いていただけるのはとてもありがたい。

ちなみに近内さんの著書については、少し前に書評ブログを書いている。

そして、8/1は、こちらのイベントがある。

勅使川原真衣×堀越英美
「あなたは職場で傷ついたこと、ありますか?」
『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)刊行記念

ケアは、私の探究テーマなので、楽しみだ。

お相手の堀越英美さんの著作についても、少し前に書評ブログを書いている。


能力主義に物申す3冊。重なる内容もあるが、それぞれにテーマが違うので、ぜひ3冊それぞれの角度からまとめて読むことをおススメする。


これまでの3冊は、主に職場にスポットを当てているが、ぜひ、学校現場にはびこる能力(学力)至上主義にも切り込んでほしい。社会が少しでも脱能力主義に動けば、それに伴い学校教育現場も脱能力(学力)至上主義に動いていくだろうとは思うが。すでに「教職研修」に連載を持たれているということなので、いつかまとまった形になってくれることに期待しつつも、くれぐれも無理し過ぎのないように、と切に願う。

いいなと思ったら応援しよう!