「できる」ということ
小学生はどうしたら学習を意欲的にできるようになるのだろうか。進んでやってくれれば、教師も楽なのに…。よくこんなことを考える。
人間は生きていく上で、ある程度の学習(学び)が必要だと思う。それはどんな職業に就いてもあるだろうし、家事をするのにもあると思う。趣味にも学習はあると思う。学習といえども幅は広い。技術的にできるようになるのも学習であるし、こうしたらできるようになるかもと考えるのも学習である。
では、子どもが意欲的に学習できるようにするためにはどうしたら良いのか。それは「できる」ようになることではないだろうか。現在、教師用指導書を見ていると、何でもかんでも「考えさせる」という文字が出てくる。確かに考えることも大事である。しかし取捨選択が大事なように感じる。小学校は能力的に様々な児童がいるため、考えるにしても差が出てくるし、子どもが説明し合う活動にも、うまく説明できる子、相手の言っていることを理解できない子がいる。考えた結果、ノートが「〇」だらけになればよいが、考えた結果が「×」だらけになったとしたら、「×」だらけの子は学習を続けたいと思えるだろうか。
できる→もっとやりたい→できる→… 意欲的にできるようになる
できない→やりたくない→できなくなる→… やりたくなくなる
自分の経験を考えてほしい。自分がしたくないことで、全くできないことをいきなりやれと言われたらどうだろうか。仕事や家事、趣味で「次もやってみよう」と思えるのはどんな時か。ちょっとの「できた」が次につながっているのではないだろうか。
子どもだって同じである。だから、私はまず「できる」ようになることを重視している。考えるにも考えるための武器が必要である。その武器を得るための手段が「できる」ようになることなのである。「できる」がある程度たまったら、考えることにつながってくるのだ。
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