きみのおめめ 少しだけまえの、遠いむかし #30

「娘ちゃんと、どっちが好きっておもうの!」
腕を組み、ぷいと横を向く。
ふーん、と続け、斜め上に尖らせた口は、怒りながらも甘えてくるときのそれだったけれど、瞳はゆるゆると揺れていた。ぱちりと瞬きしたあとすぐに俯いて、手の甲で涙を拭う。
スン、と鼻をすすりながら項垂れる娘の姿を見て、私は答えを迷っていた。

娘が産まれてから、1年に1度、年末年始を使って娘の写真を整理している。
1年間撮りためた娘を見て、これもかわいい、あのときこうだったと、夫とふたりで思い出話をしながらアルバム用に印刷するデータを選ぶのだ。
10月も終わりに近づき、カレンダーの12月が視界に入るようになった。
今年は5冊目のアルバムとなる。
棚の中にあるグレーの背表紙と何度も目が合い、その日が待ち遠しくなって、娘と一緒に過去のアルバムを開くことにした。

娘が4歳のときアルバムを見ながら思い出話をする。公園の落ち葉の上で寝転がる写真を見て、これは去年の今頃の写真だねというと、
「娘ちゃんこのとき覚えてるよ、はっぱの山に隠れてる虫を探したよね」
こうやって、とはっぱの裏側を覗き見る身振りをする。そうそう、見つからなかったけど帰りに自動販売機でアイスクリームを買って、と言いかける私の言葉に被せ、
「寒いっていいながら食べたあ!」
と大きな声でいう。ふふふ、とふたりで額を付き合わせて笑い、4歳のアルバムに続いて3歳のページをめくった。
私がコーヒーを飲むと娘はりんごジュースを飲み、懐かしいねえ、というと、懐かしいねえ、と同じ音で言う。

2歳のアルバムを開く。と同時に、胸がきゅう、と鳴った。
2歳の娘は先程みていた3歳のときよりもひとまわり小さく、繋いだ指の細さや、会話のたどたどしさ、足取りの拙さなどが、音もなく、けれどうねった水流に打ちつけられたかのように思い出された。衝撃は重くてあたたかだった。

ソファに座り私にもたれかかる娘の体温を感じる。
私も重みをかけないよう、首だけを娘の方へ傾けた。頬が娘の頭に触れ、細い髪の毛が鼻をくすぐる。娘はちらりとこちらを見て「次みないのお?」と不思議そうな顔をする。
その言葉に促され、ページをめくる。めくりながら、先程と同じように娘と過ごした日々の話をする。
娘ちゃん、この頃すっごくミニトマトが好きでね、でも小さかったからミニトマトって言えずにずっと″とわと″って言っててね。毎日たくさん食べるから仕事帰りにスーパーへ寄って、2日に1回は買ってたんだよ。
ページをめくる。
あ、この日、ととと娘ちゃんと3人で旅行したんだよ。旅行っていってもいつも遊びに行ってる場所の近くに泊まるだけなんだけどね。昼は水族館へ行って、夜はお泊りして、一緒に大きなお風呂に入って楽しかったんだ。
そこまで言って、娘の反応がないことに気づいた。ああ、そうかと思った。
娘はこの頃の記憶を、持ち合わせていないのだ。

しん、と部屋が静まり返った。心も体もそわそわした。いたたまれなくなって、この頃の娘ちゃんもとっても素敵で、かかは大好きだったんだよ、と声をかける。
くるり、と振り向いた娘の瞳は、ゆるゆると光を反射していた。

どっちが好き、というか、どっちの娘ちゃんも大好きだよ。と、アルバムを閉じ慌てて小さな背をなでた。
娘は勢いよく私の胸に顔をうずめ、「わかってる」という。
「この娘ちゃんは娘ちゃんだってわかってるけど、なんだか涙がでちゃうの」
だって覚えてないからわかんない、と叫び、顔をあげた。
娘の前髪をなでる。右目の横の髪の毛が涙に濡れて、額にはりついていた。指の腹で、目頭に溜まった粒をすくい取る。そのまま頬を包むと、すい、と私の左手に甘える。
そうだよね、かかも小さな頃のことは覚えてないことの方が多いし、大人になっても忘れてることがあるよ、と言う。言ってから、なんだか答えになってないなあと唸る。
「かかも忘れてることあるの?」
と聞かれ、そうだよ、1週間前の夜ごはんだって、なんだったか覚えてないよ、答えると「そっかあ」と考え込んでいた。
もう一度頬をなでたあと、もう一度伝える。
うまく言えなくてごめんね、だけど、0歳のときも、1歳も、2歳も、3歳も。と言ったところで娘がふふふ、と笑った。私も笑いながら続けた。
4歳も5歳も、6歳になっても、30歳、50歳、100歳になっても、娘ちゃんのことが絶対に大好きだよ、と言う。
「ひゃくさい〜?!」
けらけらと笑う娘をぎゅっと抱きしめる。
笑ってるけど、ほんとだよ、そう言って人差し指で頬を軽くつつくと、「娘ちゃんだってそうなんだよ」と、娘の小さな人差し指で私の左頬を3度つついた。

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にわのあさ
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