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旅は様々
実際に旅をしなくても、写真を見て現地の詳細にうっとりしたり、旅行雑誌でわくわくしたり、お土産品を味わったりと、心を歩かせることで旅の感覚を知ることができる。
それを貧しいと感じる人もいるだろうし、
読書のようなものだろうと考える人もいる。
読書で満足することを貧しいと思う人も、勿論いる。
それでも、初めて「旅」を知ったときの幸せは、豊かなもので決して貧しいなんて言い捨てられないのではないだろうか。
私が旅を知ったのは、14歳だった。
中学校の音楽室、11月は寒いけれど嫌ではない気温。
先生が音源を流したとき、音楽室は見えなくなった。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。
14年の人生で知っていた一番の豊かな建物と内装のイメージと、奥まった場所にあるどこか古めかしいイメージ、堪能して順に現れる誰かの作品のイメージ。
小国を案内されたような時間だった。
後からタイトルとそれぞれの絵を知って、再び曲を聴くとちゃんと展覧会を巡ることができた。
暖色の灯りを浴びる贅沢を、LEDに変えたばかりの光の下で感じていた。
窓のすきま風がその熱を冷ましてくれたことにも気が付かなかった。
曲を分析し始めると止まらないほどに魅力的な音楽は、一度流すと私を美術館に押し込んでしまい、私は何度も旅をしてきた。
あれ以上の全力の旅を、まだ知らない。