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「自分から行動しないと何も始まらない」。挑戦することで得た大きな学び。~#スタッフストーリーズ #04~
こんにちは。ZIPAIR note編集部です。
スタッフたちが今に至るまでの出来事を振り返りながら、仕事への想いを語る連載企画「スタッフストーリーズ」。
第4回は客室乗務員の濵﨑康平さんのエピソードです。海外経験を経て学び、今も心に留めている最も大切な考えとは?
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こんにちは。客室乗務員の濵﨑です。普段は客室乗務員として働きながら、地上勤務ではマーケティングに関する部署への兼務をはじめ、そのほかのプロジェクトにも携わっております。
「やりたいことって何だろう? 仕事を通してどんな人間になりたいんだろう?」。大学3年生も終わりを迎える時期、そんな言葉が頭をよぎっていました。そこで「大学生活の中で何か一つでも目標に向かってやり遂げたと思えるような経験をしたい」と思うようになりました。
その想いがきっかけで、留学を決意しました。留学先は多民族国家マレーシア。この国を選んだのは「急激に発展している東南アジアの今の姿を自分の目で見てみたい」「多文化共生の社会で国際感覚を養いながら英語を勉強したい」という理由からでした。
留学期間は1年間で、クアラルンプールの語学学校で10カ月間英語を勉強し、その期間で得た英語の力を確かめるために2カ月間バックパッカーとして旅をする計画を立てました。
今回はなかでもマレーシア留学の話を中心にしたいと思います。
マレーシアでの生活は想像以上に刺激的でした。
今まで当たり前だと思っていたことは実は日本を離れてみるとそうではなかったこと、文化の違いや多民族が共生している社会を目で見て、肌で感じ、世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるんだと胸が熱くなったことを覚えています。
もちろん、楽しかったことばかりではありません。Grab(東南アジアで普及している配車アプリ)でドライバーと電話でやり取りをするときにまったく聞き取れなかったり、買い物やレストランで食事をしたりするのも一苦労した時期がありました。
語学学校でクラスメートと話をしている時、友人から「本当に僕が言ってることわかってる?」と聞かれたこともありました。
その当時、マレーシアでの生活には限りがあるのに勉強をしても成長を感じず焦っており、自分自身に情けない気持ちを抱き、友人との会話も理解しているようなふりをしてただ笑って誤魔化していたような気がします。
そんな時この言葉をかけてもらい、「わからないことはわからないと伝えないといけない」「わかっていないのにわかっているふりをすることの方がよっぽど恥ずかしいんだ」と感じるようになりました。
どうしたらよいのか考えた時、アウトプットの機会が少なかったことに気付きました。
そこで、友達の輪を広げるためにバドミントンの社会人クラブに参加しました(私自身小学生の頃からバドミントンを習っており、マレーシアでやってみたかったことの一つでした)。友人を増やせば必然的に英語を話す機会が増え、英語の上達につながると考えたからです。
あらゆるSNSを駆使してやっとのことでバドミントンクラブを見つけ、参加させてもらうことになりました。そこからどんどん輪は広がり、クアラルンプールの市民大会にマレーシア人の友人と参加することもできました。ダブルスの戦術についてパートナーと拙い英語で会話したり、練習後におすすめのレストランに連れて行ってもらったり、行動を共にすることで以前より英語力が高まっていることを実感しました。
―「自分から行動しないと何も始まらない。」
留学を終えて私が感じたことです。自発的に行動したことで友人が増え、さまざまな経験をして、かけがえのない思い出ができました。
行動しなくてもそれなりの結果はついてきたかもしれませんが、行動したからこそ得ることのできたものがたくさんあります。この想いは今も心に留めており、挑戦する心を持ち続けています。
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新卒でのエアラインへの就職にはご縁がありませんでしたが、やりたかったことが諦めきれず、ZIPAIRに応募してご縁があり、私は今ここにいます。
ZIPAIRらしさを表す要素として「HEARTY」「WITTY」「PROACTIVE」が掲げられています。このうちの一つである「PROACTIVE」―“周りの共感を得ながら、自らアイデアを形にし、挑戦し続ける”ことは、特に私の「自発的に行動し、挑戦する気持ちを大切にしている」部分とマッチしており、ZIPAIRで働いてみたいという気持ちはかなり大きかったです。面接ではその思いを存分にぶつけました。
現在、私はあの時の気持ちを忘れず日々の業務に当たっております。ソウルとバンコクだけだった就航地にホノルルとシンガポールが追加され、今はアメリカ西海岸への就航に向けて準備を進めています。客室乗務職だけでなくそのほかの業務にも携われることで、エアラインのコアな部分を感じながら働ける点も新しい学びへとつながっています。
ZIPAIRで働いて2年目の私はまだまだ周りに支えられてばかりですが、いつかは自分がZIPAIRの翼を支える存在になりたいです。まずはコロナ禍が明けるその日まで、コツコツ前向きに行動し、挑戦していきます。