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どこ日日のめくれあがり

尾崎翠『第七官界彷徨』読む。本のなまえに、さいきんわたしが思いつめている「身体」のさき、日日のさきに行くひらめきがあるようにおもったけれどとんでもない、日日まるごとそのもの。

柱になっているのは「第六感のさきである第七感(第七官)を捜しもとめたい」というねがいで、第七官や、それにちかづくモチーフとしての苔の恋愛、分裂心理、など言葉えらびが1931年にしては前衛的なんだろうけれど。

んだろうけれど泣きたがりの子が泣きつづけたそのうるんだ目で日日が見送られ第七感にめざめず詩は書けず、というなんも起こらないでしぬようなおもむき。

日日を割いてゆくにはめくれあがった部分が要る、平面にはたちうちできない、ふとんのうえで真っ平になっている。どこ日日のめくれあがり!


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