髪が伸びると必ず右前髪がうねる
物心ついてから髪を長く伸ばした記憶がありません。
幼少期は祖母に髪を二つにくくってもらっていたようですが、小学校低学年からスポーツを始めたため母お手製で短く切られ、赤いランドセルを背負っていても男の子と間違えられるほどの仕上がりでした。
高校生の時、サラサラロングヘアーに憧れて伸ばしてはみたものの、肩から跳ねる髪を束ねるのが面倒になって、結局短く切ってしまいました。
大学に通っていた頃は、アシンメトリーが流行っていて短い前髪を斜めに切って、耳にはピアスを並べて気張った格好をしていました。思い出すと震えて床にのたうち回りたくなります。
要するに、生まれてからほぼショートカットで生活しているということです。
ショートカットは、乾くのが早く、視界の邪魔にならない利点があります。ロングは似合わないけれど、長年連れ添ったショートなら、まあいいんじゃないの、という謎の自負もありました。
社会人になり、アシンメトリーはなんとか卒業しましたが、相変わらずのショートスタイルで過ごしていました。
その頃の上司は、面倒見の良い人で、目敏く傷心に気付いて食事に連れて行ってくれるような今どき珍しいタイプでした。日頃から強固な壁を築いた人見知りの私にも構わず、ずんずんと会話や質問を投げかけるのでした。
「また短くしたな」
いつものように髪を短くして、気合を入れて出勤した昼休み、上司が言いました。その時、前回うまくいかなかったプレゼンの再考案を提出する直前だったので、私は気が立っており、いつにも増してつっけんどんな態度で返しました。
「暑くなってきたので」
「いつも短いよな」
「ロングは似合わないので。ショートの方がいいんですよ」
アルバイトをしていた時、一度だけ男性にショートカット似合うねと言われたことがありました。後にも先にも髪型を褒められたのはこの一度だけ。男性の言葉が脳裏に焼き付いています。
「そう思っているのは自分だけでしょ」
しかし、上司は大事にしすぎていた言葉をいとも簡単にグシャリと歪めて私に差し出しました。
「ええ、ああ……。そうかもしれませんね」
捻り出した相槌はどんなだったか覚えていませんが、不機嫌丸出しで会話を終わらせたのだと思います。
なんて酷いことを言うんだろうと、上司を一瞬嫌いになりました。中年太りの肉厚の腹のせいで、ジャケットの前ボタンが閉められないくせに……。
心の中で一通り上司の見た目に悪態をついてから、自分の髪型や服装、見た目について考えました。
きっと普通の女性らしい女性ではないでしょう。確かにファッションは自己満足の部分もあります。他人にとやかく言われたくもないと思います。
けれど、自分の外面は人に真っ先に見られる部分で、第一印象の大部分を占め、社会人になったら尚更重要なものです。だからといって、我慢をしろとは思いません。ショートカットが駄目ということでもありません。
独りよがりにならないようにと。
人に見られているという感覚を思い出させてくれた一言でした。自分らしさを出すことは、解放の反面、剥き出しの自分を見られ勝手に感じられ、それに対する必要としない他人の意見や批判を聞かざるを得ない状況になることもあるでしょう。少しの覚悟は必要なのです。もちろん、全てが否定である訳もありませんが。
「そう思ってるのは自分だけでしょ。伸ばしてみなよ、きっと可愛いから」
上司はそう言いたかったのかもしれませんし、ただ自分の好みがロングだっただけかもしれません。どちらにせよ真意は分かりません。
上司は、その言葉以降、私の髪について触れることはありませんでした。いつもひょうきんに笑っていますが、誰よりも人の話を聞いていて、自分のためだと言っていますが、誰かをいつも思っているような人です。けれど、いつものおちゃめな横暴な態度がその姿を隠しています。
次、髪を切った時、上司がもしそれに触れたら、今度は面白い返しをしようと心に決めるのでした。いっそ傷つきましたと泣き脅しでもしてあげようか。
なんてことないんだと飄々と生きていきたいです。
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