inside out / outside in
大好きな映画「インサイド・ヘッド」の原題、「インサイド・アウト」。私はこの原題に出逢って調べるまでは知らなかったのですが、これは問題解決の手法なんだそうです。
私は映画を見た時も感じていたけれど、inside outは今私がやっているトラウマ治療そのもの。そしてこの物事の捉え方が私にはとても向いていた。
“主体性”これこそがinside outの強みだそうだ。確かに、私のトラウマ治療に組み込まれているアクティブ・イマジネーションについて調べてみても、自分の意思が重要のようだ。
【アクティブ・イマジネーション】
「アクティブ=能動的」というのがこの技法の特徴。ワークでは無意識から湧いてくるイメージに対して意識的に働きかけていく。とても分かりやすい説明が書いてあったので載せておきます↓
無意識のイメージに意識的に働きかける。自分で選択しながら。この部分がinside outの“主体性”と似ているなぁと思った。
【自我状態療法】
そしてもう一つ私のトラウマ治療で重要なのが、この自我状態療法だ。
参考にした文献にはEMDRでトラウマ処理を施すと記載されていたけれど、私の場合はトラウマ治療初期段階で一度試した。向いていなかったらしく、自我状態療法とアクティブ・イマジネーションの組み合わせとなった。
映画「インサイド・ヘッド」をご覧になった方なら、何となくイメージしやすいかもしれない。映画の中ではヨロコビたちが勝手に動いて、それがライリーの行動などに反映されている風に描かれている。私の場合、自分の内面世界の自我状態たちに自ら声を掛け、会話を交わしていく。そして話し合いの結果を現実で実行に移す。問題に直面した時、一瞬は怯みます。もしかしたら1日中、あるいは数日引きずるかもしれない。けれどそこから脱却する方法を自分で編み出せるようになった。それがこのトラウマ治療の成果。
【inside out / outside in】
inside outや自分のトラウマ治療のことばかり触れてしまったけど、 タイトルにoutside inを入れた理由についても少し触れたい。
最初に両者について簡単に説明はしたけれど、それぞれに手法にはそれぞれの良さがある。だからこそ時と場合によって手法が使い分けられるんだと思うし、実際に取り入れられている訳で。ただ重要なことがひとつ。outside inは起きた問題自体への対処療法としては効果があるけれど、人の感情などの内面的問題解決にはつながりにくいとされていて、根本的な解決に至らないケースもあるようだ。それと比べてinside outは、時間がかかるというデメリットはあるものの、問題の根本解決に繋がりやすい。
【言葉に出来なかった思い】
エッセイ『ひかげのたいよう』に赤裸々に書き綴ったけれど、私は娘が生まれてから旦那と上手くいっていない。表面上は仲良く思われているようだけれど、一時は同じ空間に居ることすら耐えがたいと思う時期があった。それがトラウマ治療によって改善はしたものの、今でも隙あらば一人になりたいと思っている。
こうなってしまった理由に、問題解決方法の違いがあったのだ。私は自分の内面から改善して物事の捉え方を変えてきた。2年という治療期間を経て。しかし旦那は根っからのoutside inなのだ。だからあんなに苦しかったんだな、と今になって当時の感情を紐解くことができた。言葉に出来ず苦しんでいる私の感情はいつもおざなりにされてきた為、その分の蓄積された全感情が
『こいつは敵だ!』
と脳にインプットしてしまっている。これは母親に対して憎しみの塊を抱くのと近しい感情だ。
虐待を受けた子供が大人になっていく過程で、何が苦しくて、どう生きづらいのか? こんなに近くの存在にすら理解されない。いや、本人は理解してると言っているので、その理解の方向性が間違っている。けれど旦那はoutside in志向なので、物事の本質は捉えられていないのだ。それで自分は正しいと思っているし、私が細かいことを言うとピリピリした空気を放ってくるのでもう諦めている。物事の捉え方が正反対だと苦労するな、、、
人生はいつだって正念場。“今”という瞬間に全感情で立ち向かい、嫌な場面ほどしっかりその場に留まって浸ってみる。私にはこの生き方が合っている。マオ先生と2年間共にトラウマと向き合い培ってきた私の生き方だ。変えるつもりもない。ただ今後家族として生きていく上で、この課題をどう解決していくかは“今の私”にはまだわからない。残り少ないマオ先生との時間の中で解決の糸口が見えてくればいいなと願っている。それがどんな結果になろうとも、進むと希望に誓ったから。
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