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お金を使わない日々のなかで

現在、無職なので「極力お金を使わない」生活をしている。

私の収入は、退職して1年半もらえる傷病手当金(休職から退職したため)のみ。給与の3分の2の額が月末に振り込まれる。ただ、前職は事務員で給与が低く、税金を払うと雀の涙しか残らない。

約7年働いていたのでほどほどに貯蓄はあるが、それを崩すことなくやりくりして傷病手当金のみで生活している。

もともと、私はあまり物欲がない。

楽しみといえば読書と、近くの喫茶店でコーヒーを飲む程度。本は図書館に行けばいくらでも読めるし、中古なら百円ほどで買えたりする。喫茶店のコーヒーだってトーストをつけても千円超えない。

しかも、もともと家にいることが大好きだ。

収納を考えるのが好きで、家にあるものだけで「どこまでできるか」考えるのが楽しい。クッキーを焼いて、ハンドドリップでコーヒーを淹れるのも癒しのひととき。その他、料理したり映画を見たり、こうやってnoteを書くのも家でできる。

そのため、必要な買い物や誰かとの約束がないと家から出ない。出ると余計なものにお金を使ってしまうことがあるからだ。

そんな生活を1年ほどしてみて、あることに気がついた。会社員時代、いろんなことに不要なお金をかけていたことだ。

使いきれない服や百貨店コスメ、飾り切れない雑貨や不要な収納用品。特別肌の調子が悪くもないのにエステに行って、こまめに美容室にいって髪のケア。また、いつも首肩のコリがひどくて週2で鍼治療を受けていた。

休日は買いたいものもないのに出かけ、何かを買ってくることが習慣化していた。

今思えば、仕事のストレスから無駄なお金を使ってしまっていた。当時は金融窓口をしていて給与が良かったが、その代わりストレスが尋常じゃなかった。「正確かつ迅速」な事務処理、常に笑顔での接客、ノルマを達成するためのセールス。

心のどこかに「こんなに働いているんだから…」という思いがあった。何か買い物をすると満たされた感じがして、快感だった。

働くためのストレス解消。そのために買い物。まるで「働くため」に「働いたお金」を使っているみたいだ。

働いていない今、お金はないけれど「自分にとって何が必要か」が明確になってきた。

気になった新書を月に2冊ほど買いたい。週に2回、喫茶店でコーヒーとトーストを楽しみたい。毎日の料理に使う調味料は良質なものを使いたい。

たまに友達と遊んだり、どこか旅行に出かけたりしたい。大好きな京都に年4回行きたい。

そう考えると、自分が自分らしく生きるのに必要な「大体のお金」が見えてくる。もっと明確にするため、最近は家計簿をつけるようになった。

ちなみに、同棲している彼は買い物が好きだ。朝から夜遅くまで、繁忙期は休日返上で働いている。買ってくるものは食材・お菓子、たまに家電。私も使うものなのでありがたいが、量が半端ない。

彼の買い物もストレスからきているんじゃないかな、と思う。そのおかげで生活できている私が言えたことではないが、ときどき心配になる。

一番まずいのは、働いていて収入もあるのに原因不明の金欠に襲われることだ。

窓口をしていた頃、ショッピング中毒で借金だらけになり、ついには夫のカードまで止めた保険外交員の顧客がいた。身に付けているものは高級品ばかりだし、しょっちゅう海外で豪遊していたが、なんだか全然幸せそうに見えなかった。

一度、上司が何かの未払いを指摘したところ「なんでアナタに私のお金の使い方を指図されないといけないわけ!」と逆ギレされ、大騒ぎになったことがある。

きっと、彼女の心の中に買うことで埋めないと耐えられない何かがあったのだろう。

「ほしい」気持ちを抑えるのは難しい。だからこそ「自分は最低限どんなものが必要か」とか「どんな生活を送りたいか」を改めて考える時間がストレス社会においては重要ではないだろうか。

自分はこのくらいのお金があれば大丈夫だと、だいたいでも分かっていると精神的にも楽だ。

働かない1年は、お金がなくて時間のある1年だった。でも、そのおかげでお金との付き合い方が前より上手くなった気がする。

今はそれを踏まえて「どのくらい働くか」を考えている最中だ。

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