見出し画像

「話を聞いてもらうこと」に意味はあるのか?

3月から精神障害者就労継続支援施設のスタッフとして雇われることになり、その後、支援困難な案件専門の相談支援担当になり2ヶ月。私もようやく慣れてきた。

幸い今のところトラブルは起こってない。ただ、「利用者と会話する事は無駄」と考えるオーナーと自分との考え方の違いをどうやって埋めるか、相変わらず試行錯誤している。

✳︎支援困難な案件担当として感じる事✳︎

支援困難な案件を幾つも担当していると、段々それぞれの案件が、なぜ「支援困難」なのか、その理由が見えてくる。

例えば本人の自傷や他害が酷いとか、ヘルパーや相談支援などの援助者とのトラブルが頻発しすぎて引き受ける事業所が無いとか、本人を取り巻く関係者揃って精神疾患など等。

そういう状況下で、いかにしてトラブルを起こさずに必要な情報を聞き出し、その人のなりたい未来と現状とを繋ぐ為にどの社会的資源に繋げるのが良いか計画を立てて、他の福祉サービスや行政サービスと繋げて平穏な日常をいかにして継続させるか。

その為にはやっぱり、本人や家族と話すこと。そして本人や家族の話は事実と本人の中の想像や記憶違い等が入り混じっている事も多いので、担当する他の福祉サービス事業所や行政の担当者、生活保護の担当ケースワーカー、精神病院の精神保健福祉士などの他職種の方々と連絡を取り、多角的に情報を集め共有し、それに基づき連携することがとても大事な気がしている。

どのケースも、たいがい本人も家族などの関係者も、視野が極端に狭くなって頭の中が混乱して、不安と孤独で錯乱している。

統合失調症なら絡まった糸の様な頭の中、鬱や双極性障害なら、ピンピンに張り詰めた糸の様な頭の中を、私は意図的にまるで普通の近所の人と話すような雰囲気で、「へぇー」「それでそれで?」「そうかぁ(独り言っぽく)、そういう風に感じてるんですね」「それは大変でしたね。ほんっとお疲れさま」ってな感じで聴きに徹する。

そうすると大体段々、泣き出したりしてその後少しずつ落ち着きを取り戻してくる。その積み重ねで次第に業務上必要な話に入る為の場が整っていく。

✳︎誰とも会話しない職場に、人は通い続ける事ができるのか?✳︎

支援困難の事案を複数担当して2ヶ月。私がトラブらずに済んでいるのは、やっぱりオーナーからは「会話すること自体コスパが悪い」「事業所は利用者が社会の厳しさを学ぶための場所だと言うことを理解していない」と怒られ、その度オーナーに謝罪しながらも、実はこっそり相変わらず利用者さんの話しを傾聴し、それに基づいて支援計画を立て、各事業所と連携を取ったり役所に手続きする書類を作っているからだと思う。

逆に言えば今の私が他の相談支援員と比べて秀でているのは傾聴位だと思うし、それなのに、ほかの事業所が匙を投げた案件をトラブルなく維持して扱っていけているのは、傾聴のおかげだと思う。例えば知識や経験にしても、私はそもそも相談支援専門員の初任者研修を受ける条件となる経験年数も無く、それゆえ外部研修に参加する資格がない。会社からの指示に従い行き、そして手続きを完了させるために、ひたすらプライベートの時間にYouTubeやさまざまなホームページを見てはメモをしたり、本屋で福祉関係資格の本を買ってきて勉強したりして、どうにか一件一件を完成させる。私の知識や経験はその繰り返しと積み重ねでしか無い。そう思うと、「話を聞く事」でそれらの不足をカバー出来ている事自体、傾聴の重要さを感じずにはいられない。

実際、通所している利用者さんとわたしが会話をしているのが見つかると私もオーナーから注意を受けるし、利用者さんが帰る前に仕事の進捗の報告の為、私に話しかけてくるのをオーナーが見つけると、オーナーはすかさず利用者さんに「それは僕への頑張ってるアピールなの?」など全員に毎回のツッコみ、結果的に人によっては萎縮したり傷ついて、以降通所出来なくなったりする事も少なからずある。

✳︎オーナーの価値観と、自分の仕事のやり方が真逆という障壁✳︎

段々分かってきた事だけど、コミュニケーションの必要性において、どうやらオーナーと私との間で考え方が大きく食い違っているようだ。

オーナーの考えでは「会社にとってのお客様は行政で、利用者は客じゃないから利用者に寄り添う事は無駄」という。

この考え方が合理的かどうかは私には分からない。確かに利用者はほぼ全員生活保護受給者で、実際、直接利用者から施設にお金が入る訳ではない。けれど、利用者が居るから国や自治体から助成金が入り、施設が成り立っているという意味では、間接的に利用者さんはお客様だと私は考えている。

モヤモヤしつつ、「でも会社とは社長が神様の世界なのだ」と言い聞かせ、社内にいるときの私は、オーナーの言う様に利用者さんとは話さないよう心掛け、結果利用者さんのモチベーションを上げるための声かけも行わず、健康状態の確認も、書類に自分で書いてもらう形式になった。そしてパソコン操作などを質問されても、最小限だけ教えるようにしたり、自身で検索して調べるように言うように変えた。

そのようにオーナーの指示通りに過ごすうち、この2ヶ月で利用者さんは次第に来なくなり、代わりに新しい顔ぶれに入れ替わって行くのを短い周期で繰り返すようになっていった。それを申し訳なく切なく感じながら、来なくなった利用者の私物を片付けたりする。

✳︎カウンセラー不要論者の意見✳︎

もちろん確かにオーナー以外にも傾聴は不要という人は居る。

例えば今議論されている、幼稚園にもスクールカウンセラーを配置する件についても、あるスクールカウンセラーからは「普段何か問題が起きた際に、何の権力も無い、学校のヒエラルキーの一番下のスクールカウンセラーである自分が何かを提言したところで毎回鼻で笑われて、スクールカウンセラーが学校に居ることの意義を全く感じられない」

またある教師は「問題はカウンセラーがいないからではない。話を聴くだけでは何の解決にもならない。カウンセラーを増やすのは無駄。問題は教師の数が少ない事だ。配置人数が少ないから教師は時間的にも心理的にも余裕がない。だから教師を増やし、負担を減らす事がよほど根本的な解決に繋がる」と言っていた。

正直これを聞いた時、私も「どちらも確かに現場ではそうかもしれない」と思ってしまった。スクールカウンセラーはパートである事が大半だし、コロナ対応やら学習指導要領やら、家庭の問題、給食費の徴収、部活の顧問、テストの採点、成績つけやクラス替え、様々な研修。実際教師の仕事はあまりにも多岐に渡る。

これまで教育委員会でバイトしていた経験も、カウンセラーの求人を探した経験もある自分としては、彼らの意見は、スクールカウンセラーの必要性の有無の問題と、カウンセラーをうまく活用できてない行政の運営の仕組みの問題や、教員の人員配置の問題とを混同していると思いつつも、いずれにせよスクールカウンセラーの位置付けの低さ、仕事のやりづらさの現実を目の当たりにした出来事だった。

✳︎カウンセリング(傾聴)は意味がないのか?✳︎

でも本当にカウンセリングは効果がないのだろうか?少なくとも私はあると思っている。

プライベートでも、「こんなに話を聞いてくれた人は初めて!」と言って異性から気に入られた事は複数回あるし、人って話を聞いて欲しいんだなぁ、と感じる場面は公私共に少なからずある。

そして、前職の不動産関係の団体職員時代には、水商売出身の人と関わる事も多かったのだけれど、そういう経歴の方々と話してきてカウンセラー以外でそれに一番近いことをプロとしてやっているのはホステスさんだと思った事がある。

もちろん、カウンセラーはクライエントが健常に近づくことを目指し、ホステスさんは金儲けを目指す点では大きく違う。でも私が出会ったホステス出身の不動産経営者の話術は受容と聞く事にとても重点を置いていて、業種は全く違うけど過程はカウンセリングと結構似ているのかもな、とその時感じた。

男性がホステスさんに夢中になり、金を貢ぐのは恐らく単純に下心を刺激してくれるだけでなく、どんな人相手でも否定せずに話を聞いてくれるから。そしてホステスさんは、客にその献身を恋愛感情だと上手に勘違いさせることで上手く繋ぎ止めて商売にしているのだろうと思う。(でも「話を聞いてくれるから好き」という理由で告白してくる人は、私の中の統計上100%パーソナリティ障害気味のダメンズ。あくまでも私の主観だけど。)

確かに話を聞く事に即効性は無いかもしれない。短期的な視点で見れば、瞬間的にスッキリするだけの効果しかないと思われがちなのかもしれない。

ただ、実際誰かに自分の話を聞いてもらうと人間の脳の報酬系という場所はお金を貰った時と同じ反応を示す。これは科学的に証明されている。この実験結果を踏まえると、話を聞いてもらう事は脳にとって何らかの影響を与えている事は間違いないし、精神疾患の分野は解明されてないことも多いので何とも言えないけれど、だからこそ、脳と関連性の強い精神疾患や発達障害と話を聞いてもらう事の関連性について、一切影響は無いと断言する事もまた、現時点では早計ではないかと私は思う。

✳︎私の中の葛藤✳︎

仕事だから従うけど本当は、きちんと利用者さんに関わりたい。やっぱり会話する事に意義があると私は思う。勿論、人それぞれ考え方が違うのは当然だし、別にオーナーがそう思うならオーナーの会社なんだし、オーナーのやりたいようにやれば良い。

会社を存続させるために資金が必要。だから金を第一に考えるのは経営者として必要な視点だというのも分かる。実際、これまで会ってきた不動産経営者からは、「経営者にとって必要なもの、最後にモノを言うものは、資質や経験や知識、人脈などではなく、何より『金』」という話は、これまで散々聞いてきた。だからオーナーのコスパや金への執着は理解できる。正直、その重視したコスパの結果、オーナーが一体何を生み出しているのかは私にはさっぱり分からないからモヤるけど、恐らくそれは立場の差で、オーナーにしか見えてない何かがあるのかもしれないという余地は常に持っておくよう私自身心がけている。

ただ、利用者が来ないと、そして定着しないと評判にかかわるし、地理的にも病状の程度的にも通いやすい利用者は人数的にも限られている。オーナーの考え方は長い目で見たら限られたパイを確保するという視点でも会社にとって不利なはずなのに、どうしてオーナーは短期的な目線でしか見れないのだろう?と私は素人目線で単純に不思議に思うだけなのだ。

このオーナーの独特の考え方は経営者としては普通なの?それとも一時的なもの?そんなにも会社の経営は今ヤバイのだろうか?それともオーナーのパーソナリティの問題?(いわゆるサイコパス的な言動があまりに多すぎることや、人間観があまりに性悪説なこと、自分が周囲からどう見られているかはめっちゃ気にするし、マウント取りまくりの俺様気質の典型的裸の王様的ワンマン社長で、共感性や他人への関心は皆無。そんな様子をみていたら、むしろ人間と向き合う事が怖いのかな?もしや生育歴に何かある?とか密かに思ったりする(爆))。それとも単純に私の了見が狭いだけなのかな?立場が違うから同じ事象でも見え方や捉え方がが違うだけ?

とにかくオーナーはあまりに自分と考え方が違いすぎるし、会話をしても一方的に言われて私は「わかりました」一択、或いはこちらの思いを言うように求められるけど、リアクションは常に皆無、という独特のコミニュケーションスタイルなので、時々オーナーの言動に困惑したり、いろんな思いが交錯する。

また、オーナーと人間観がお互い違い過ぎるということは、頑張ったところで評価に繋がらない事も多いし、モヤモヤしながら自己犠牲をする事も多いので、そのモヤモヤを溜めないようにする事が必要になる。また、オーナーに従って仕事をしたことで、本意ではないけど、結果的に利用者さんを傷つけることも多く、申し訳無さでクヨクヨしそうになる。でもキリがないから振り切らざるを得ないという現実がある。

さて、これらをどう判断するか。

例え正社員になったところで会社が今後も存続していけるのか不安がある。資金の事はスタッフ全員口を揃えて「次々に新しい事業に手を出し全てコケ、うまく回っている事業は何一つないのになぜこんなにオーナーは金を湯水のように使えるのか謎だ」と言うし、私も不思議。でもだからこそ、実は誰にも言わないだけで、会社は自転車操業なのではないか?とも思う。

割り切ってるつもりだけど、知った顔の利用者さんが傷ついて段々来れなくなるのを見るのは悲しい。でも指示だから仕方ない。足元を見られて「雇っている時点で赤字」とオーナーから好き放題言われ、扱いも行政の定める最低賃金で、立場もバイト。私自身の立場も薄氷の上に立っているような物なので、黙って従うしか無い事への葛藤。

利用者や職員が使う文房具などの備品の貸与、引き継ぎや研修など、会社から私への投資は一切なく、PCも携帯も私物で電話代も名刺や名札の作成や購入、利用者さんに貸す文房具も全て私が自費で購入していることを踏まえると、私への尊重は最低レベルだと感じる。

オーナーやオーナーを慕うスタッフが言うには、利用者に文房具を貸しても勝手に持ち帰るので、会社の備品を買うことは無駄とのこと。でも業務上、在庫表や書類への記入、健康状態のチェックなどにおいて筆記具は当然必要。なので、結局現場にいる身としては、利用者さんが持参してなければ私物を貸さざるを得ない。そういう細々したさまざまなやり方や、利用者さんへの関わり方についても、あらゆる面で私が自腹を切る事にも違和感しかないけど、今の私の扱いの状態では何を言っても無駄、もしくはより不利になると感じる。

その代わり、私はオーナーの目が届かない相談支援の為に外出した時には、相変わらず傾聴をしている。信頼関係を構築する事で自分の身の安全を確保するという意味でも、仕事の達成という意味でも、やっぱり傾聴が必要だと感じるから。

これに関しては正直心のどこかで吹っ切れてる面もあり、もうクビにしたけりゃすればいい。私をクビにしてオーナーが相談支援員として支援困難者に対応したら良い。(オーナーは資格はあるが、現場に出た経験は無い)と腹を括り、もちろん時間は必要最小限にとどめているけど私は今日も傾聴する。会社員として褒められた事ではないのは分かっている。でも傾聴する事で、支援困難案件として私の元に回ってきた人でも、とりあえずトラブルなく私も相手もとりあえず生存し、今のところそれなりに過ごせているという事実と自負もある。

一方で社内では、これまである程度定期的に通所し、自ら創意工夫や提案や質問など労働意欲を見せるほど回復していた利用者さんでも、オーナーの指示によりスタッフとの関わりが無くなり、指示以外の会話、利用者さん同士の会話も許されない、という環境が続くと次第に休みがちになり、途絶えて通所出来なくなっていくの見ていると、やはり人は人との会話を欲しているんだな、と思う。(確かに私も前の会社でパワハラに遭ってた時、無視される事が一番辛かった)

そう思うと、改めて傾聴の果たす役割やカウンセラーの存在意義、受容する姿勢の重要性を感じずにはいられない。

✳︎私の今✳︎

私自身、元々は傾聴の技術しかない中で未経験の業種に飛び込み、もがきながら泣きながら、明日こそ辞めようと思いながらズルズルやってきたこの2ヶ月。色んな思いが葛藤している。でも段々相談支援の面白さややりがいも感じてきたし、ある程度のストレスにも慣れてきた。

また、疾患によって時間が伸びやすいものとそうでないものがあることに気づいたり、さり気なく何度か終わり時間を提示して引き止められ続けるの穏やかに振り切るテクニックを身につけたり、書類をフォーマット化するなど、経験の積み重ねによって時間も短縮できる所は短縮して効率よく進めていける様になってきた。また独学で手探りとはいえ色んな障害や生活保護に関する様々な制度も段々色々分かってきた。

そして今、私は私の入社2ヶ月後に正社員として入ってきた後輩?(70代で他社を定年後、相談支援未経験で入社してきたスタッフの親族の発達障害傾向のある男性)の教育係も今後請け負う事になったと言われた。

正直言って自分だけでもいっぱいいっぱいなのに重荷だなとか、バイトなのに正社員の人の教育係ってどういう事?とか、入社2ヶ月の差って後輩って言うか寧ろ同期やん?とか、その70代の後輩スタッフが相談支援を担当するのは、相手に共感したり、物事を深く考えたり、柔軟に考えたり、先を見通すという点が元々苦手なんだな、と見ていて思うので、そもそも適性的にも合ってない気もする。

でもそういう人事をオーナーが言っているのなら従うしかない。その70代の後輩スタッフも利用者さんも私も極力無駄にしんどくならないように、私は敢えて余力を残すよう心掛け、いつもニュートラルに優しく接する事が出来るよう、70代の後輩スタッフも私も潰れないよう、今以上に一層、私自身の睡眠や気分転換など心身の健康管理に気をつけなきゃな、などなど、思う事も正直いえば山ほどある。

実はその後輩さんは既に会社のお荷物扱いされていて、誰もその後輩と絡みたがらず、結果毎日手持ち無沙汰で過ごしていてたまに声を掛けると「眠れない」「辞めたい」と言ってくる。普段は私も話を聞いたりフォローしたり励ましているけど、私自身も忙しい時に「構ってちゃん」をされると、優先順位的に利用者さんを優先した結果、70代のスタッフのことをつい後回しにしてしまったり、私の時間や心の余裕がなくてイラっとして塩対応してしまうことも。

PC操作が苦手で億劫だから、帰社後検索などで調べる事なく、ヒアリング時に聞こえた音だけで薬や疾患名を書いて書類を作ること、新しい事を覚えるのに時間がかかり、意欲が湧かないこと、どれも年齢や職歴上、仕方ないし悪気も無い。

発達障害由来で表面的な見方しか出来なかったり、細かいところに注意が払えず、その結果どうしても薄っぺらな内容や、的外れな内容、誤字脱字、疾患や薬剤名の間違いだらけのままの報告書を「完成」と思ってしまうこと。手伝う気の有無はさておき、寂しくて思わず会議に乱入してしまうこと、そういう空気の読めなさ、落ち着きのなさ、こだわりの強さ、応用のきかなさ、どれも単に特性であって悪気は無い。

私も頭では分かってるはずなのに、相手がスタッフなだけで、つい寛容さを無くす時があり、手持ち無沙汰の辛さに共感するどころか、自分の手間を増やされた事に苛立ちそうになり、踏みとどまったり塩対応してしまったりして、後から自分の大人げなさや、器の小ささに腹が立ったりへこんだり、自己嫌悪になったする。

でも「年齢的な事、発達障害、条件は同じなのになんで利用者なら許せるのにスタッフだと腹が立つのか。」「腹が立つ理由は本当に、時間的、精神的な余裕のなさや疲れだけなのか」

「相手が正社員で自分より給料が良いことや保険もあること、私は他社も嫌がる案件を専門で担当して孤軍奮闘し、プライベートもYouTubeとwebで検索してひたすら休みの日や夜に独学してるのに、相手は就業中のほとんどの時間を座学の勉強に充て、更に外部研修に行ける事へ、私は実は嫉妬しているのかもしれない?」「仕事に完璧さを求める事は、結局70代の後輩スタッフだけでなく、私自身も追い込む事に繋がっているんじゃない?」「適正に合わない仕事を命じられ、70代の後輩さんも、きっとつらいよね」

などなど改めて考え始めると、今後は私の中の捉え方もまた更新していく必要がある気がしてくる。

完璧な職場、完璧な人間関係を求めても仕方ない。どこかで妥協したり合わせたりすることも大切。だから一人暮らしの男性の自宅を訪問する時や、交通の便が悪く、治安の良くない上に土地勘のない所に行くときに一緒にいてくれる事の安心感、(特に夜間)、運転して時間の効率化に協力してくれることのありがたさなど、相手の出来ないことではなく、出来ることに目を向け、自分の中に感謝をしっかり留め、感謝とやって欲しいことを紙に書いたり言葉に出して、相手の障害に合わせて伝わりやすいような形でこまめに表現し、自分もストレスや仕事量に潰されないような方法を探し、出来るだけ意識的に力を抜いて、お互い最小限のストレスでやっていく方法を見出して行こうと思う。

✳︎さて。これからの我が身をどうするか✳︎

元々は私も今のバイト先で正社員になるはずだったのだけど、やはりオーナーの考え方を知れば知るほど計画性の無さと無鉄砲さ、目先のお金への執着、人間への関心や共感性の無さが今まで出会った人の中でぶっちぎりに強いので、近くにいても搾取される予感しか無い。だから自分の動物的な感覚としては正直「離れるべき人間だな」と感じる。

ただ実際、福祉業界は拝金主義とセラピスト寄りの人が混在していて、多かれ少なかれその考え方の違いで社内外に派閥があるから、それを踏まえて立ち回るべきだと聞く。確かに私の職場もそうだ。あとは程度の問題で、自分がどこまで割り切ったり合わせたり出来るか。それを基準に職場を選ぶのが現実的だと聞いた。

程度の問題か・・・。

そして相談支援の部門の上司からは言葉では認めてもらっているし、「向いている」「期待以上」「僕に無いものを持っている」「続けて欲しい」とも言われている。ただ「報酬に関してはオーナーに一任なのでどうしようもない」とも言われている。ありがたいし、本当に嬉しい。でも報酬は。うーん・・・。

私の場合、いずれにせよこの歳で永久に最低賃金で経費も全て自分持ち、サービス残業てんこ盛りで社会保険はおろか労働保険にすら入ってないアルバイトは長くやるものではない。この状態を継続したら行き着く先は私自身が生活保護受給者になりかねない。だからこそ正社員にこだわりたいし、バイトを続けるにしてもキャリアアップの為の経験年数を稼ぐためのバイトと割り切って、タイムリミットを決めて、バイトと並行して勉強なり、正社員目指して就活なり、次の一手に繋げていかなければならないと思う。

間もなく私も失業保険が切れる。私は再び人生の帰路に差し掛かっている。よーく考えよう。

いいなと思ったら応援しよう!