フランス史を聖地巡礼
ボンジュール!
趣味が海外旅行の社会人です。
1ユーロ170円の歴史的円安で話題の最中、2024年GWにフランスへ行ってきた。
フランスを語るには、世界史は外せない!
そう思い、渡航前はフランスの歴史を総復習。
どちらかというと、西洋史よりイスラム史のほうがロマンを感じて好きだが、やはり実際に足を運ぶとなると気合が違う。
フランス史も学べば学ぶほど面白い。
今回はいつもの旅行記から趣向を変えて、
実際に訪れた場所を年表順に並べて、エピソードを織り交ぜながら、フランスの歴史に思いを馳せる。
<主な登場人物>
①ルイ14世(元祖フランスの俺様①)
②ルイ16世(ギロチンされた哀れな王様)
③マリーアントワネット(ギロチンされた哀れな王妃)
④ナポレオン=ボナパルト(二代目フランスの俺様②)
⑤ナポレオン3世(二代目俺様②の甥)
元祖俺様ルイ14世とヴェルサイユ宮殿
パリに行くならルーブル美術館やエッフェル塔、凱旋門も良いが、ヴェルサイユ宮殿は第一のメインイベントだった。
フランスの歴史を学び、ヴェルサイユ宮殿に行く以上、ルイ14世は外せない!
ルイ14世のこと皆さんご存知ですか?
王位に就いたのはなんと4歳の頃!
そして14歳にして王自らが政治を行うことを宣言!
かつては、太陽王と呼ばれ、フランス絶対王政の絶頂期となった人物。
「朕は国家なり」(=我こそがフランスだ!)
という俺様発言で有名。
「王様の言うことは絶対!」
「王様の一言で国が動く!」
これが絶対王政です。
ルイ14世が幼い頃、フランス全土で内乱状態が続いていた。特にパリ市民は血気盛んだった。
国王はそんなパリを嫌い、郊外のヴェルサイユに宮殿を建てた。
これがヴェルサイユ宮殿の始まりである。
このようにルイ14世は王政を誇示するため、宮殿の建設をはじめ、王室内部の細かいマナーやしきたり等、細部にわたり儀式化していった。
その一方で、新大陸アメリカを始めとした領土拡大戦争での度重なる出費、
それに加えて信仰に関しては、カトリックしか認めず、新教徒であるユグノーを弾圧した。
その結果、フランス国民の反発が高まり、王の威光は陰り始める。
天地にひっくり返ったフランス王朝
ルイ14世の華々しい王政時代から一変、ルイ16世は、なんと国民によって処刑されるという前代未聞の被害に遭う…。
ルイ16世の王妃はオーストリア ハプスブルク家のマリー=アントワネット!
話は戻り、なぜ国王が処刑される事態になってしまったのか?
それはご承知の通り、財・政・難!
ルイ14世時代の贅沢なヴェルサイユ宮殿の建築と対外戦争による度重なる出費。(ルイ16世時代も)
しかも当時の納税者は第三身分の平民のみであり、第一身分の聖職者と第二身分の貴族は免除されていた。
しかしそれだけでは到底やりくり出来ず、ルイ16世は第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)にも税金を課すようにお願いした。
当然、第一身分と第二身分は反発し、各身分の代表が集う三部会(会議)でも話は平行線。
そこで第三身分(平民)は、三部会では埒が開かないと判断し、「自分たちの手でフランスを変えよう!」と動き始める。
財政難により、食糧不足・大量失業・重税のトリプルコンボで、平民はとにかく苦しめられていた。
しかし、平民の身勝手な行動をよしとしない王室が武力で弾圧するなどして、最終的に民衆が激怒して起こしたのがフランス革命!
僕はヴェルサイユ宮殿を訪れた瞬間思った。
「こんな煌びやかで華々しい宮殿を建てて、その上対外戦争まで!そりゃあ革命を起こすわ!笑」
と。
革命の発火点バスティーユと終焉のコンコルド
フランス革命は、民衆がパリにあるバスティーユ牢獄を襲撃したのがスタート。
そして民衆はますますヒートアップ!
パリジェンヌのおばちゃまの中には、パリ中心部から20kmあるヴェルサイユ宮殿まで足を運び、王に向かって
「革命の責任を取りなさいよ!」
「パンをよこしなさいよ!」と主張し(ヴェルサイユ行進)、最終的にルイ16世とマリー=アントワネットは、パリで民衆の監視下に置かれることになる。
(王様がそんな仕打ちを受けることある?)
そして王の信頼を失墜する出来事が。
ルイ16世とマリー=アントワネットは、オーストリア領の王妃の実家に逃げ込もうとするも、この逃亡計画に失敗してしまったのだ。
ヴァレンヌという場所で見つかっため、ヴァレンヌ逃亡事件と呼ばれる。
=(ヴァレンヌ バレちゃった♪)
王が国を捨てて逃げようとしたことで、国を統治する能力も意欲もないことが明るみに出てしまい、民衆の王に対する信頼は失望へと変わってしまった。
そして最終的に、ルイ16世とマリー=アントワネットは、民衆の前でギロチン処刑されることとなる。
文章で読むと、世界史の1ページとして
「そうだったんだ」と思っていたが、
実際にヴェルサイユ宮殿に足を運び、あのような絢爛豪華な生活をしながら国の統治をしていた王様が、民衆によって処刑(しかもギロチン)されるなんて、相当あり得ない出来事が起こったんだと実感した。
ノートルダム・凱旋門・アンヴァリッド
王様不在となったフランスでは、恐怖政治が始まり、ギロチン祭りが行われていた。
復路の飛行機で「ナポレオン」という映画を観たが、その時代の様子はギロチンが一種のエンターテイメント化していた描写で描かれていた。
その時代に台頭したのがナポレオン=ボナパルト。
そしてヴェルサイユ宮殿では、宮殿の部屋を何室もつかい、ナポレオンの功績を讃えていた。
ナポレオンが戦いで活躍した絵がたくさんあったが、実際に僕が行ったことのある国での戦いをパシャリ。
気づいたらアウステルリッツの戦いの絵を撮るのを忘れてしまった。
個人的にあの連戦連勝のナポレオンが、ロシアの冬将軍に勝てなかったというエピソードが好きで、「ナポレオンが冬の寒さに凍えながら退場していく絵」を観たかったのだが、さすがにナポレオンの栄光を語るヴェルサイユ宮殿の展示室にはなかった。
七月革命〜ナポレオン3世
ナポレオン亡き後は、フランスに再び王政が復古するも、国民の不満が溜まり、再び革命が起こる。
それが七月革命。
その後はナポレオンの甥であるナポレオン3世が皇帝となり、対外戦争を行う他、産業保護やパリ改造計画などを経てフランスの近代化に尽力した。
パリの景観が美しいのもナポレオン3世の功績があったから。
そんなナポレオン3世といえば、普仏戦争でプロイセン(ドイツ)に敗れ、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の宣言をされるという屈辱的なエピソードも印象的だ。
例えるなら天安門広場ではなく、日本の皇居で、中華人民共和国の建国を宣言されるようなもの。
まとめ
最近は海外に行く際、その国の歴史を学ぶように心がけている。
特に今回行ったフランスは西洋史を学ぶ上では避けては通れない。
ルイ14世やルイ16世の肖像画を見ると、
「いたー!」
と、まるで有名人を見つけたかのように、ひとり感動している自分がいた(笑)
そして世界史を総復習して旅したことで、
ただ行って「すごい」と終わるのではなく、
当時の社会状況や考えを想像しながら、改めて全てのものに歴史やバックボーンがあるんだと自分自身の中で昇華できたことで、より一歩深みのある旅になったと思う。
事前に学んだ内容をこのnoteの場でアウトプットできたことにも感謝。
最後までご覧いただきありがとうございました!
メルシー!