昭和10年代の台湾-翡翠は誤解だらけの宝石
今日は緑色の宝石・翡翠の話です。
瑠璃玉については過去に別の記事で言及していますのでここでは省略しますが、翡翠のことを書いていませんでしたので、ここで少しまとめておきたいと思います。
そもそも翡翠は日本人にとって誤解だらけの宝石で、台湾人と話をしていても話がかみ合わないことがしょっちゅうあります。その背景には、翡翠に対する認識が大きく異なることにあるのではないかと考えます。
日本人が考える翡翠の誤解 その1
一つ目の誤解は、日本人が考える翡翠と台湾人中国人が考える翡翠は同じものではないということです。日本人が考える翡翠は硬玉ですが、台湾人中国人のそれは軟玉であるということです。このことを理解しておく必要があります。
なお、台北の建国街高架下では週末になると玉市が行われていて、ここでは翡翠をお手ごろな価格で買うことができることで知られていますが、ここで売られているものはほぼすべてが軟玉です。宝石としての価値はありませんが、スワロフスキービーズやチェコビーズを買う感覚に似ていると思えばいいかもしれません。
日本人が考える翡翠の誤解 その2
そしてもう一つの誤解は、今でこそ翡翠(硬玉)は日本の国石と称されていますが、この文章が書かれた1936年当時、翡翠(硬玉)はミャンマーでしか算出しないと考えられていたことです。しかし、1938年に新潟県小滝村(現在の糸魚川市)で翡翠が発見されたことから状況は一転、突如として日本の翡翠は脚光を浴びることとなります。実は『魏志倭人伝』にも「倭の地には真珠青玉を産する」としっかり書かれていますが、青玉の裏づけが存在しなかった。しかし、史書の記述の正確性を裏付ける結果ともなったわけです。
そしてこの発見によって、日本海ルートによる翡翠(硬玉)の交易ルートが脚光を浴びますが、今後の邪馬台国論争にも影響を及ぼす可能性があります。このあたりのことは播田安弘氏の「日本史サイエンス2」という書籍で詳しく書かれていますのでここでは省略します。
翡翠の見分け方
ところで翡翠の見分け方というのも相当に難しいと言われています。宝石としての価値があるのは硬玉だけなので、硬玉を見分ければいいのでしょうが、色目について言うと、硬玉も軟玉も濃緑から透明に近いものまで多数あります。また、翡翠というと女性の着物の帯留に使うイメージがありますが、軟玉のほうが加工しやすいので、意匠のこらしたオシャレな帯留は軟玉である場合も相当に多いわけです。
でも、高いものを身に着けるという満足感を得るためにはやはり硬玉である必要があるわけで、そのため軟玉と区別するため硬玉を本翡翠と称して売っているわけです。
(本物をお持ちの方からはものすごく怒られてしまいそうですが、わたくしからすれば、うまくあしらわれていて、そしてきれいであればどちらでもいいんですが‥。)
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