語感の言語化#3〈もどかしい〉
もどかしい
基本的に①の用法を考えていく。
(主観):「いらいらする」という意味を内包しており、その原因が思った通りでないということならば、「もどかしい」は「いらいらする」に置き換えられるのか。新明解国語辞典の「もどかしい」の項を見ると、
とあるが、この例文を「「彼の無器用な手つきを見ていると、代わってやれたらといらいらする」にすると違和感がある。これは「いらいらする」に「本当はもっと自分の力で上手くやれるはずなのに」という非難のニュアンスを感じるため、この例文の彼に対して好ましくない感情を抱いているかのような表現になっているところにおかしいと感じるのではないか。ただもともとは「非難すべき様子だ」とあるのを考えると私の語感は相当ずれているのかもしれない。「いらいらする」と比較して考えると、「(はたから見ていて)物事が思うように進まずいらいらする」というのが「もどかしい」の語感か。自分は部外者なのだからどうしようもないという悔しさ、やりきれなさがついてまわるようだ。しかし「折れた腕が動かせなくてもどかしい」のように自分の身体に対して思うようにできない苛立ちにはよく使われている。こうなると「自分で制御できないものに対して」と言うことになるか。皮肉だが「「もどかしい」という言葉の意味が言語化できなくてもどかしい」という言い方はしっくりくる。
外国語から考える
英語だと impatiently, irritated, frustrated あたりが標準的な訳語か。
まだ「靴を履くのももどかしく走りだす(大辞泉)」のように何か身につけるものに対しても「もどかしい」気持ちを表すのに使われるようだ。(この文の場合、実際に靴を履いたのか履いていないのかは、分からないような気がするがどうだろう。常識的には履いている?)「もどかしく」と副詞にすると、これまで見てきた「もどかしい」と違って何かしらの行為は実現している場合が多いのだが、そのスピードが遅くて焦ったい思いをするという意味のようだ。
衣服関係の例文だといわゆる時間構文で表現される。
この例文で水着に着替えていないとは考えにくいから、「もどかしく」においては行為が実現したかどうかは文脈に委ねられるのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?