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5月の語学まとめ ー1日4つの言語学習

5月の語学学習時間は以下のようになった。

ドイツ語  97:17
フランス語  82:11
ポルトガル語 18:24
ロシア語 29:24
英語 9:48

カテゴリーとしては

・ガチ言語(仏と独)
・ゆる言語(葡と露)
・毎日読書するだけの言語(英)

の三つのクラスに分けた。ガチのフランス語とドイツ語は交互にやるが、その日机に向かって勉強しない言語は隙間時間に聞き流しで音を聞いていた。フランス語の洋書を読む日は気晴らしの散歩中にドイツ語のポッドキャストを聴く、といった具合だ。結果的には両言語とも毎日触れていることになる。フランス語よりもドイツ語の方を補強したかったので、ドイツ語だけDuolingoの時間を作ったりして、ちょっと勉強時間を増やした。メインの方は一日5〜6時間、サブの方も聞き流しだけで1〜2時間くらい費やした。ゆる言語のポルトガル語とロシア語も一日交代で勉強していて、洋書とYouTubeの聴解を主にして毎回2時間くらい。ロシア語の方がポルトガル語よりもマテリアルが豊富に見つかるので、その差がそのまま勉強時間の差になっている。英語は毎日やっていたが、1日20分くらい洋書を読み進めていただけなので、日々の読書を習慣的にやっていたにすぎない。まとめるとフランス語とドイツ語と英語はその量は違えど毎日触れていて、ロシア語とポルトガル語は隔日なので、毎日4言語に触れる体制で5月は学習をすすめていた。
以下、具体的な学習内容を振り返りたい。

勉強していたことをざっとリストにして分けるとこんな感じ。

  1. 暗記系の文法(独・仏)

  2. 理論系の文法(独・仏)

  3. 洋書(独・仏・英・葡・露)

  4. 発音練習(独・仏)

  5. 動画・ポッドキャスト鑑賞(独・仏・葡・露)

  6. アニメ・ドラマの多聴(独・仏・露)

順に見ていく。

1、暗記系の文法(独・仏)

動詞の活用など、理論的に覚えるよりもそのまま覚えてしまった方がいい事項が各言語にはある。どうしても反復練習が基本になるので、嫌になりやすいが、全ての土台となる知識を深いレベルで体に染み込ませるためには避けて通れない。スポーツで言えば素振りみたいなもので、毎日の勉強のルーチンとして最初に組み込んだ。
フランス語では、conju という動詞活用アプリを使った。これは動詞の種類と時制を自分で選択して、その動詞の活用をテストできるアプリだ。私は、現在形、半過去、複合過去、単純未来、条件法現在、接続法現在、の6つの時制を自然に書けるようになるように練習した。書く、読む、発音する、といった接し方を変えて覚えると飽きにくいので定着しやすい。
ドイツ語では、動詞の三要形(不定形、過去形、過去分詞)が不規則なものを、日々の学習のうちから採取しておいて、50語くらいを単語帳に登録した。表に不定形、裏に三要形と意味、といった感じだ。ここでは意味を覚えることはメインではないので、ざっくりとした意味がつかめればいいくらいにして、ひたすら動詞の活用を書いて覚えた。一日20単語、時間としては30分くらいが目安だった。

2、理論系の文法(独・仏)

簡単に言えば文法書の通読。今取り組んでいるのは独仏でこの2冊

『日本語から考える!フランス語の表現』
『中級ドイツ語の仕組み』

『日本語から考える!フランス語の表現』は、日本語教師とフランス語講師の共著で、とある表現について日本語の特徴をまず分析して、その意味を押さえた後に、フランス語ではどういう表現をするかと言うことを考える構成になっている。この本がいいのは、文法の説明が自己目的化していないことだ。「〇〇語ではAという文法があります。これは例えばBのような例文を見ると分かるでしょう」といったような、例文が文法を説明するための道具かのようになっているのではなく、(こういう例文って文法説明するためにわざとらしく拵えたものじゃなの?といつも思ったり)日本語の表現の意味するところを深く掘り下げた上で、そのフランス語に対応するものは何があるか、を真正面から考察しているところに好感が持てる。文法が言語表現の説明道具という本来的な形で機能しているので、その言語の自然な形を本質的に体感することができる。「日本語のAという形式は、フランス語のBという形式に相当する」という分かりやすいが枠にはめ込んだ知識は、ざっくりと表現する時には役立つかもしれないが、下手するとただの言葉の置き換えになってしまう。その形式が表すのは何か、意味をもう一段抽象化しないと正確な表現にはなかなか行き着かないし、そうしたなかでその言語の特徴も見えてくるので、作文という勉強はその意味で言語の知識を深めるのに効果的な勉強になる。全てをわかりやすく説明するのではなく、限界を素直に認めているところもこの本のいいところで、例えば「10人も来た」という日本語をどうすればいいかについては、このように書かれている。

これは、10人という数が「多い」というニュアンスを出しているわけですね。「10人も」というニュアンスを出すフランス語は存在しません。お手上げです。こうするしか手はありません。

Dix personnes sont venues.

もちろん多少の解釈を加えて工夫をすることはできます。

たとえば、この「も」には話し手の満足感がこもっていると解釈すれば、「幸い」という副詞をつけて、Heureusement, dix personnessont venues、あるいは逆に、話し手の不満がこもっていると解釈すれば、「不幸にも」という副詞をつけて、Malheureusement. dix personnes sont venues. などと表すことができます。

これに対して「10人は来た」というニュアンスを出すためのフランス語はいろいろあります。これを「少なくとも」という意味に言いかえれば、

On était au moins dix personnes.

がすぐに思い浮かびます。さらには次の文でも同じ意味が出せます。

Il y avait une bonne dizaine de personnes.

ちょっと発想を変えましょう。「10人も来た」という文で、「来た」というところにではなく、「10」という数そのものにスポットを当てることはできるでしょうか。できないわけではないのです。たとえばdix (「10」)を文末に持ってくることで、そこに焦点が当たるようにすればいいのです。

Ils sont venus a dix!

主語に代名詞のilsを立てるところがポイントです。感嘆文にして表情をつけたせいもあるのですが、「10人も来た」という日本語のニュアンスがかなり出ています。

佐藤康、山田敏弘『日本語から考える! フランス語の表現』

ドイツ語の方で取り組んでいる『中級ドイツ語のしくみ』は、通読できる文法書をコンセプトにした白水社の「〇〇語のしくみ」シリーズの一冊で、練習問題や表を極力使わないで中級向けにドイツ語の文法を解説した一冊である。形式としては易しいが、内容としては決して質が劣るものではないので、読み下せると言っても、丁寧に論理を追っていかないとついていけない。文法書としては「読む気になれる」のでとても重宝していて、今までなんとなく「そういうものだ」で通していたドイツ語の理屈に説明が与えられていって、理解度が増しているのを感じる。ドイツ語の歴史にも触れているところがあって、du の人称語尾が発達した話なんかはとても興味深かった。2人称が衰退していってるポルトガル語とは真逆の流れなのがなんとも不思議。

ドイツ語も古高ドイツ語の時代まではduに対する語尾はラテン語と同じ -sだったのです。ところが、相手に話しかけていることをもっとけっきり示すためだと思われますが、動詞の後にもう一度tu (duの古い形)を付けて いたのです。それが弱まって-tになり、動詞の語尾は-stになったのです。

du liebs + du → du liebst というわけです。人称代名詞を動詞の後に繰り返してそれが語尾になっていくという現象は、世界の言語をみると、ものすごく珍しいというわけでもないのですが、ドイツ語の場合は du だけにそれが起こったということは特筆すべきです。それだけ、duは大切だったのです。

清野智昭『中級ドイツ語のしくみ』

3、洋書(独・仏・英・葡・露)

私は読書が趣味ということもあって、外国語で本がストレスなく読めるようになることを語学学習の目標にしている。そう言う意味で洋書の精読は学習でもあり目的でもあるから、基本的な営みになっている。言語の壁を感じることなく読むのが究極の目標ではあるが、ある程度労力をかけて読むことを楽しみにしているのかもしれない。今読んでいる洋書はこんな感じ。

ドイツ語:ヘッセ『車輪の下』(Hesse „Unterm Rad“)
フランス語:カミュ『異邦人』(Camus «L’étranger»)
英語:イェスペルセン『言語 その本質・到達・起源』(Jespersen “Language Its Nature Development and Origin” )
ポルトガル語:コエーリョ『不倫』(Coelho “Adultério”)
ロシア語:ドストエフスキー『虐げられた人々』(Достоевский «Униженные и оскорбленные »)

もちろん、各言語でやり方も進み具合も異なる。フランス語とドイツ語は、1周目は邦訳と並べて、基本的には日本語をなぞって読み、文法や語法を整理する。まだこの2言語では作品を味わうレベルには達しておらず、あくまでも学習の側面が強い。フランス語の『異邦人』は一度読み終えていて、2周目の今は邦訳なしで読み進めている。ポルトガル語の『不倫』も2周目だが、1周目は邦訳参照せずに読み進めて、2周目はどちらかというと細かいところを気にして、1周目で疑問にしたままだったところを適宜邦訳を確認して読み比べたりしている。ロシア語も邦訳参照なしでまだ1周目だが、2週目も読むかはまだ未定。英語は学術系のノンフィクションなので、流し読み気味で読んで興味ありそうな章は深く読む感じ。
洋書を読むというと、ある程度外国語をマスターした人だけしかできない特別な営みのように思えるが、何も全部理解する必要はない。考えてみれば、日本語で本を読むとき、内容をどのくらいの割合で理解しているのか、胸に手を当てて考えてみると、かなり適当に読んでいることも多い。100%理解しているなんてことはないはずで、読み進めるのに支障がなければいいと考えて飛ばして読んでいる場合も多いはずだ(例えば外国の知らない地名とか料理が出てくるたびにWikipediaに行ったりする?)。ただ読むだけならそこまで辛い作業にはならないし、そもそも完全な理解など最初から求めるものではない。その作品について論文を書くとかそういうレベルでない限り、理解の度合いはそこそこに落ち着くはずである。母語での読書ですら、このようにいい加減な理解度なのに、外国語で読書となるとなぜか「全てを理解し、日本語にしなければ」という構えになりやすい。もちろん外国語なのだから、ある程度辞書や文法書を行き来して、内容理解に努める必要はあるが、ひとしきり考えて分からない場合は「手放す」ことも必要だ。「今はまだ分からないが次読むときは分かるかもしれない」という楽観が継続のために大事であり、そのためにも再読前提で洋書は取り組むのがいいと思う。日々洋書を読んでいると、自分の読書の仕方を見直すきっかけを得られるので、読書について考えるいい機会にもなっている。ここでは個々の作品を紹介したりはしないが、読み終えたら感想を書いていきたいと考えている。

4、発音練習(独・仏)

これは、去年の暮れからずっとやっていることで、英語系youtuberのだいじろーさんの練習方法を参考にしたものだ。

だいじろーさんほどストイックではないが、ターゲット言語の動画を一つ選んで、ネイティブ話者の話す外国語をコピーできるようになるまで繰り返し練習する。スクリプトは見るが、基本的に自分が聞こえない音は話せないので、オーバーラッピング(話者と同じタイミングで発音すること)してみて、自分の舌が回らない箇所があれば、そこは自分の聞き取れていない箇所であり、脳が意味のまとまりとして認識していない音の連なりである可能性が高い。要するに、その音に対して「耳ができていない」状態なので、その箇所をYouGlish(youtubeの音声コーパスみたいなサイト https://youglish.com/)で検索して、同じ語句が別の文脈でどのように使われているかを見ていく。「同じ形式を異なる文脈で経験する」これが発音に限らず語学の要諦で、流しではなく、ワンフレーズごとに集中的に聞いて発音することで、自分が聞き取れなかった音の組み合わせを意味のまとまりとして聞こえるようにする訓練が必要になる。毎回1時間くらいかけてもなかなか進まない(1分がせいぜい)がそれだけの価値がある。ただ一つの動画に数十時間はかけるので、マテリアルの選択は慎重に行う必要がある。

ドイツ語で今発音練習に取り組んでる教材。100歳まで人が生きるとすると5200週あることになる。この人生をどう生きるか、ひとつの視点を考える。毎日のようにこの動画を聞いてると一日も無駄にできなくなる。

フランス語は、TEDⅹのこのスピーチを教材にしている。驚きだったが、フランスは世界でもっとも幸福度が低い国らしい。終末医療の現場で喜びを喚起する仕事をしている芸術セラピスト(art-thérapeute)が語る幸福論。語りかけ方がその道のプロなので、なんとなく真似したくなる。発音の練習には最適だった。

5、動画・ポッドキャスト鑑賞(独・仏・葡・露)

Youtube などから面白そうだなと思った動画をあらかじめチェックしておき、その動画を鑑賞する。どちらかといえば多聴・多読よりの勉強。私の場合、対象言語でちょっとでも興味がありそうなチャンネルは登録しておき、隙間時間に更新をチェックして、面白そうなのは「後で見る」にとりあえず追加している。おもしろくなくても、そのyoutuber だからという理由で網羅的に見ることも多い。母語で同じことをやったら時間の浪費になりかねないが、ターゲット言語でやればカジュアルな語学勉強になる。ほんと、Youtubeには感謝しかない。5月によく見ていたチャンネルを各言語から一つずつ紹介したいと思う。 

Kurzgesagt (ドイツ語)


Kurzgesagt はドイツ語で「一言で言えば、要するに」という意味で、科学や社会に対しての事象を10分程度のアニメーションで説明しているチャンネルだ。1つの動画の制作に100時間以上かけているらしく、量より質を重視した内容となっている。クオリティへのこだわりが随所で感じられ、使用される語句も洗練されている。5月に見たもののなかでは、インターネットについて述べたものが特におもしろかった。

https://www.youtube.com/watch?v=4RORE0MpCcc

フィルターバブルの神話やSNS以前のインターネット環境に回帰するべきという主張。語学学習として少し気になるのは、このチャンネルの原語がドイツ語なのかが分からないことだ。Kurzgesagt は英語や日本語、他にも様々な言語のチャンネルが開設されていて、どの言語から翻訳されているのかが今ひとつはっきりしない。チャンネル名からしてドイツ語だろうと思っていたのだが、英語のチャンネルの方が先に開設されているので、このドイツ語が英語からの翻訳である可能性は否めない。せめてテキストライターが誰か分かればいいのだが、公式ホームページに行っても今ひとつ分からなかった。それでも質に定評のあるチャンネルなので、翻訳にしてもきちんとした行程を踏んでいるとは思う。

InnerFlench(フランス語)


InnerFlench は、フランス語の講師であるユーゴー先生が運営しているポッドキャストで、毎回30分程度で、中級レベルでさまざまなジャンルのトピックについて話してくれる。発音はゆっくりはっきりしており、内容の選び方がうまくて、自然と興味を持てるものになっている。例えば、フランス料理についての回では、一般的な美食の国のフランスのイメージを語るのではなく、実は近年フランス料理の地位は落ちてきているのではないかという斬新な切り口で、どうしてフランス料理が受容されにくくなっているのかの理由を考察している。典型的なイメージ以外のフランスの実相が垣間見えるので、マテリアルとしての価値はもちろん、文化理解としても良い教材になる。

Ler antes de morrer (ポルトガル語)


Ler antes de morrer は直訳すると「死ぬ前に読む」という意味。このチャンネルのイサベルさんは、本業はジャーナリストらしいのだが、本に関するさまざまなコーナーを開いてチャンネルを運営している。近日出版される本の紹介だったり、文学作品を読んで感想を共有したり、単に視聴者の質問や要望に沿った企画だったりする。海外のブックチューバーを鑑賞していると、その国の出版業界の雰囲気や本に対する価値観を知ることができて、それだけでもなかなかおもしろい。ブラジルの文学はあまり日本では知られていないけど、やはりラテンアメリカ文学に属する部分が大きいのかなと思ったり、(コロンビアの小説家、ガルシア・マルケスの遺作についてがかなり話題らしい)日本では無名の作品を知るきっかけにもなったりして、本当に見てるだけで楽しい。このチャンネルを通して、読みたいポルトガル語文学が増えていく一方で困っている。そのためにも読解力は上げたいよね。

Valter Hugo Mãe の刊行されたばかりの小説 DEUS NA ESCURIDÃO(闇の中の神) をちょっと読んだところでの解説。ポルトガルにある島、マデイラ島にいる兄弟の話らしい。余談だが、ポルトガルのカーネーション革命からちょうど50年ということで、ポルトガル国歌が冒頭で流れている。

Books around me (ロシア語)


Books around me はユーリャさんが運営するチャンネルで、主に読んだ本の感想や紹介をテーマに動画を配信している。ユーリャさんは現在「ドストエフスキー五大長編マラソン」を走っており、私がこのチャンネルに惹かれたきっかけである。ドストエフスキーの五大長編とは、ドストエフスキーの作品でも後期に書かれた特に影響力のある5冊の傑作のことで、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』を指す。私がロシア語を始めた理由はドストエフスキーだった(https://note.com/zgagaga/n/n38e5ed330490)のだが、大学生の春休みに私もユーリャさんと全く同じマラソンを邦訳で走っていた経験がある。ユーリャさんは、今3番目の『悪霊』を読み終えて4冊目の『未成年』に入るところらしいが、ドストエフスキーを読むことによって生じる精神的な変化や日常生活の影響など身に覚えがあることばかりを配信してくれて、とにかく今後の報告を楽しみにしている。ユーリャさんに限らず、ブックチューバーの動画を見ていると、ロシア人が実際にどのような本を読んでいるかを知ることができて興味深い。日本ではどうしてもロシア文学の影響が強すぎて、トルストイやツルゲーネフのような世界文学に燦然と輝く巨人ばかりをロシア人が読んでいるのように錯覚してしまう。当然そんなことはなくて、日本人だって10人中10人が夏目漱石や太宰治や三島由紀夫を読んでいるわけではないように、ロシア人全員が全員ドストエフスキーを読む訳じゃない(そんな社会があったら逆に怖いし陰鬱すぎる)。だけど、芥川賞や本屋大賞の本よりも村上春樹の作品の方が翻訳されて海外に日本文学として浸透していくのと同じで、現代のロシア人が読むものというのは日本のメディア環境にいる限り分からない。ブックチューバーが紹介しているヤングアダルトやスラブの神話の世界観を下敷きにしたファンタジーやアジアを舞台にした東洋趣味の小説など、まったく知らないジャンルの本が語られるので、とにかくおもしろい。

ちょうど季節の変わり目ということで、春に読んだ本を総括した回。左手に持ってるのが『悪霊』。ドストエフスキーは日本でも複数の出版社から出てるけど、本場ロシアではさまざまな特装版があるそうで、ユーリャさんは装丁のバリエーションにこだわっているらしい。

6、アニメ・ドラマの多聴(独・仏・露)

4月中頃から始めた「葬送のフリーレン」をフランス語とドイツ語吹き替えで見るルーチンは継続していて、現在は第7話にいる。


両言語から一つずつ小ネタを。

第7話で「断頭台のアウラ」というキャラクターがこの作品には出てくるのだが、これがフランス語版では、Aura la Guillotine となっていた。「断頭台」を辞書で引くとギロチンの意味だと出ているが、これまで自分のなかで、「断頭台=ギロチン」という認識がなかったため斬新に思えた。ギロチンは、もともと医師ギヨタン(Guillotin)にちなんだ語なのだが、語の構成を見ると、Guillotin の女性形が Guillotine に見える。偶然にもアウラは女性なので、la Guillotine という二つ名が同格で表現されているが、仮にアウラが男性だったら翻訳は変わっていたんじゃないかと思う。

第6話で、シュタルクという青年が主人公フリーレンに向かって「クソババア」と悪態をつく場面があるのだが、ここのドイツ語が傑作だった。「クソババア」のドイツ語訳は、Hexe でこれは「魔女」という意味なのだが、年老いた老女への罵倒語としての意味もある。「おばさん」と言い放つくらい人を怒らせるインパクトをもった語であり、フリーレンが魔法使いという魔女の属性を備えていて、姿こそ人間の少女にしか見えないものの、1000年以上生きている長寿のエルフで、人間(シュタルク)から見たら「おばあちゃん」と言ってもいいくらいなのにフリーレンの主観的には自分は若いという認識を考えると絶妙すぎる訳語選択と思う。実際、フリーレンは「老魔法使い並みの魔力がある」と後に言われたときには、機嫌を損ねる場面もあり、年寄り扱いされるのを嫌がっているのがわかる。ちなみに侮蔑のニュアンスを含まない女の魔法使いはドイツ語で、Magierin といい、フリーレンの職業としてはこの語が用いられることが多い。

ロシア語では、ずっと継続している Универ Новая Общага を継続して見ていて、55話くらいまで来た。5月にはちょっとしたニュースがあって、このコメディドラマは2011年ごろに始まったのだが、その13年後の出来事を描いた続編、Универ Новая Общага 13 лет спустя が5月からロシアで放映されているようだ。ロシアの配信サイト PREMIERで第一話のみ無料で視聴できる。かつて学生だった登場人物が30代になっていて、クリスチーナは事故死したことになっており、歴史学科のマイケルはYouTuberをやっていたり、バーリャとマーシャは二人の子どもの養育に金銭面で頭を悩ませていたり、シリーズ途中で降ろされたクージャが再登場したりしている。このドラマは3年前にも続編が制作されているのだが、今回再度続編が放映されるあたり、このドラマがいかに人気かが分かるような出来事だった。思えば半年前くらいから、youtubeでこのドラマが配信されていたのは、続編への伏線だったのかもしれない。

まさか2024年にクージャの Блин, блинский! が聞けるとは! 


だらだらとまとめ

「二つの言語を同時に勉強したらどうなるか」を実験してみたくて同時並行でやってきたフランス語とドイツ語も、勉強を始めてから半年くらいが経って、それなりの成果は見えてきている。語学系youtuberの動画が少しずつ分かるようになってきたし、動画の内容が「分からないけど、手がかりっぽいものはつかめる」という具合になってきたので、「動画見てるだけで勉強になる」というところまであとちょっとだと思う。この段階までこれば月に50時間とか勉強しなくてもいいし、働きながら隙間時間に何気なく勉強ができる感じになりそう(でも多分洋書読むような時間はない)。一方で課題もある。フランス語はあいかわらず耳ができてなくてなかなか思うように聞き取れるようにならない。ドイツ語と比べると「文字を見て分かる語と聞いてそれと認識できる語」の差が大きいのだと感じる。もっともポルトガル語からの類推でニュアンスが分かる語が圧倒的に多いので、予想よりも早く読めるようになったし、語彙に課題も感じないのだが、聴解にかんしては逆にそこがネックになってしまっている。逆にドイツ語は聞き取り面ではフランス語より上達していると感じるものの、根本的に語彙力不足だと感じる。フランス語の語彙がポルトガル語の知識のおかげであまりに簡単に増えたためだろうが、その語を見てもまったく意味が浮かばないドイツ語が本当に多いと感じる。そろそろ本格的に語彙にコミットしないといけないのかもしれない。
6月はフランス語もドイツ語もインプット重視は崩さず、単語や文法を復習するときにライティングの要素を組み込んで徐々にアウトプットに慣れていくのがいいかなと考えている。
ロシア語とポルトガル語は、前述の通りロシア語の方が興味のあるマテリアルが豊富なので偏りができてしまった。何かポルトガル語で熱中して見れるドラマとかに出会わないかなと思ったりはする。もしくはもうすこしyoutuberを開拓してもいいかもしれない。まあでも基本的に洋書を読み進めていって、気晴らしの際に youtube で勉強という方針がいいかもしれない。洋書に関しては、後がつかえているので、本当はもっと読むスピードを上げていろいろな作品を原語で読みたいのだが、上げて上がるものでもないので、こだわらないようにしている。
英語は、日々の読書として洋書を読む習慣をつけられればいいかなと思っているが、疲れ切った一日の終わりに英語を読んでも脳が理解を拒む日も多かったので、やはりまだ外国語学習として別枠で読み進めた方がいいかなという気もしている。現状英語の入り込む余地がほとんどないので、週に一回は英語だけやる日とかを作って調整する手もあるかもしれない。



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