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「コズミック・ピクニック /cosmic picnic」5
「良きこと、良きこと」
彼らは言った。
「地球の代表のみなさん、お集まりありがとうございます。今日はともかく出会いの儀。長々とお邪魔するつもりはありませぬ。ほんの一時なれど、我らの新たな交流のはじまりを祝し、楽しく過ごしましょうぞ!」
ムチムチ人魚たちはそう言うと、一斉に歌いはじめた。彼らの羽はよりいっそう大きく開かれ、まるで天高く吹き上がる噴水のようだった。それらは、エメラルドグリーンやオレンジやピンク色などなど色とりどりに鮮やかに発光していた。
湖の周りに集まった人々は、彼らの歌声に合わせて歌ったり、踊ったりした。母さんや父さんみたいにただ静かに座って眺めている人たちも、もちろんいた。姉さんは遮二無二踊り、僕は大声で歌った。
彼らの歌声は細かく震えるような不思議な音だった。湖の周りの空気の粒子もよりスピードを速めて震えていたのかもしれない。僕は彼らの声に合わせて歌いながら、自分の身体が海の底で揺れる海藻にでもなったように感じた。
彼らの歌の意味は分からない。でも時々歌の合間に、彼らは僕らの言葉で話しかけてきた。
「いにしえの仲間たちと再会できることを心待ちにしていたよ」
だとか、
「地球を楽しんでいるかい?」
だとか、
「相変わらず二足歩行なんだね」
だとか、
「基本姿勢が、座ると立つと寝るしかないの?不便じゃない?」
だとか、
「地球人の排泄の仕方って、変わっているよね~」
だとかだ。
やがて空が夕暮れてくると、キャンドルやランプを持ってきた人たちがそれらを灯した。キャンドルの中にアロマキャンドルが混じっていたのかもしれないし、誰かがアロマオイルを焚いたりしたのかもしれない、ラベンダーやローズの匂いも漂いはじめ、湖の周りはひときわ幻想的な雰囲気になった。そんな変化に合わせるように、彼らの歌声はよりゆったりとした穏やかな曲調に変化していった。
太陽が完全に沈んだその直後、歌声が止んだ。しばしの静寂の後、陶酔したような声が発された。
「ああ、気持ちよきこと!」
僕らは笑った。
「ありがとう。本当にありがとう。すばらしいセッションでした。ではまた会う日まで!」
彼らはぴゅんぴゅんと飛び跳ねるように円盤の中に戻っていく。全員の姿が消えると、円盤は息継ぎをするように「ぽうっ」と音を立ててから湖に沈みこんだ。それから数分後、再び巨大ネジが湖に被さった透明ドームにぎゅいんと刺さり、今度はネジに吸い上げられるようにして青い滴が空へとまっすぐに上っていった。そして滴は、ネジのちょうど頭のあたりでくるっと回転するように震えて消えた。
僕らはみな、息を付くのも忘れて呆然と空を見上げていた。最後の別れの声が、頭上から降り注ぐように響かなければ、僕らは放心状態からなかなか戻ってこられなかったかもしれない。
「みなさん、くれぐれもお気をつけて。家に帰るまでが遠足ですぞ」
彼らはそう言い残し、今度こそ本当に地球から去っていってしまった。
別れの声の振動の余波さえも消え去ると、ようやく僕らは「ほうっ」と深い息を吐き出した。それぞれがのろのろと、場合によってはきびきびと、みなが遠くを見つめるような表情で荷物を片づけ、その場を立ち去る準備を開始した。誰もがこの場の空気の残り香から何かを得ようと一瞬一瞬に意識を集中しているような雰囲気だった。瞑想って、多分あんな感じだと思う。
星空の下、僕らは家に戻った。車の中で僕らは何も話さなかった。三人が一様にむっつり黙り込んでいないなら、僕は感想をべらべら喋っただろう。みんながどう感じたかも知りたかった。でも、十歳にもなれば、キーキー言っちゃいけない時があることくらい知っている。それがいつなのかという見極めはまだできないけど、周りに合わせるのが得策だということは、何度も痛い目にあって分かっていた。
その翌日、ママはマーマレード・トーストとヨーグルトいうおなじみの朝食を用意した。パパはいつも通り左側の前髪がアグレッシブにくるんとはねていた。姉さんは洗面台を占領し、とんでもない色の口紅と髪型で学校中にハロウィン気分をプレゼントしようと張り切っていた。
僕だけが、いつもよりそわそわと浮かれていた。でも姉さんから、
「ガキね」
と唇をゆがめて言われるのは癪だから、僕も前日のことは何も言わない事に決めた。それから、僕らがあの日のことについて語りあったことは一度もない。何も無かったように過ごしている。
それで、なぜをあの日のことをこんな風に君に話すことに決めたかって言うと、昨日、僕が学校から帰ってきたちょうどその後で、空から音楽が響きだしたからだ。三十分くらい流れていたかな。
モーヴとピンクが入り交じったきれいな夕焼けの空から、あの日聴いた彼らの歌声が流れ出したんだ。僕はとてつもない幸運に出くわしたみたいにドキドキした。
昨日は少なくとも町中の人があの歌声を聞いたはずだ。でも、父さんも母さんも姉さんも、またもや何も話そうとしない。今日は一日、学校の友達や近所の人たちの顔をじーっと見て過ごしたけれど、みんなもやっぱり何事も無かったように普段通りだ。平然としている。
そんなわけで、僕にもよく分かった。みんな何もかも分かっているってことらしい。
キーキー騒ぐなんて野暮なんだね。クールじゃないんだ。うっかり僕一人で浮かれたりして、姉さんから子供扱いされないように気をつけようと肝に銘じている次第。たとえ家の壁が霞のようにぼやけて(たぶん紫がかった色調になったりしながら)消え果てても、金星が瞬きでモールス信号を送ってきても、庭の樹が枝先をぷるぷる震わせながら話しかけてきても、絶対に驚いたりはしゃいだりしないつもりだ。
でもさ、ずっと我慢し続けるなんてしんどいじゃない。だから、今日だけ特別にして、君に話すことにしたんだよ。