iはなくても愛はある。これが私の生き方。
わたしは、自分自身に強いアイデンティティーや特徴があるわけではありません。そんな私の原動力は、 誰かのために優しくすることや誰かのために犠牲を働くこと、つまり「誰かのためであること」です。
会社で作る動画にはみんなの笑顔が溢れるものでありたいと思うし、会社で書く記事にはみんなのいいところをきちんと伝えたいと思って作っています。まだまだ一般的には若いと言われる年齢ではあるけれど自分のために頑張ることに対して限界を感じはじめています。自分自身が幸せなことより誰かの笑顔でありたい、と。自己分析的には共感性が高いのでいろんな要素に飲み込まれてしまいがちです。
どれだけ忙しくても構わない。どれだけしんどくても構わない。その先に笑顔があって、会社のため、お客様のため、誰かのためになるのであればそれにかかる私の労力はいといません。
「お前に何ができるんだ?」と言われたら私は間違いなくこう言います。
私はみんなの魅力を最大限引き出すことができます。と。
わたしびっくりするくらい取り柄がないんです。小さな頃から際立ったものが何もなくて、ただある程度の事はある程度やり込めばそれなりのレベルに達します。そういう能力がないところを見られたくなくて学級委員をやったり、キャプテンをやったりしていたのかもしれません。一生懸命勉強すれば結果は伴ってくるのでそれで自分が疎外感を感じないように、必死に保身していたのだと思います。
親が言う通り年が離れている妹はかなり器用で、何をやってもあっという間にできる器用で一芸タイプ。一方わたしは真逆。何をやっても微妙、そっから練習を密かに積み重ねてできるようになるタイプです。
「あなたは自我が強い」「プライドが高い」と言われることも多いですがそれは自分を大きく見せないと、いなくなってしまいそうで必死に取り繕っている一面です。ですが意外と定評があるものもあるわけです。それがチームワークの形成。
私は取りこぼしがないように組織をいつも運営するようにしています。立場の弱い人にやさしい社会を、がテーマなのです。すみっこにいる人がいたら積極的に中に取り入れる、逆に上の立場の人で偉そうな人にはある程度柔らかくもみほぐして仲間に入れちゃいます。とにかく1人ではなくチームとして形が出来るように整えます。
どうやら調整役が上手らしい。
それはもちろん自分が好意を持っていることが前提だけど、好意を持てるように調整しちゃうのが特徴。
「i」が強い人は1人で出来るかもしれない。でも私は「i」がなくて自分だけでは強くいられなかったからこそ、みんなと一緒にやりたいと思います。
才能がないことは嘆くのではなく自分にも出来ることをを必死にやった結果が今。これからも誰かの中心にいなくてもいいけど組織には欠かせない存在でありたいですね。
誰かが欠けて成り立たないことはよくないけど、組織には欠かせないよね。と言われる存在であれますように。
「愛」は「i」より強くなる、私のアイは愛となりみんなの笑顔となる。
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