救う救われるは時折、等価値かもね。
人生歩いてたら、人に迷惑かけてはいけないと教わりつつも人に迷惑かけてない人なんていないと思うのです。もちろん能動的にかけてはいけないでしょう。
でも人を頼るとか甘えるとか救ってもらったり頼みにするのは申し訳ないからって我慢するのは、君のことを大切に思う誰かにとっては余計に発覚した時心苦しいだろうと思う。
自分も大切な人が悩み苦しんだり、もしかしたら自分で命を絶ってしまったら頼るだけ頼られたかったと思うだろう。それは極論だけど。
お世話になっている人には自分の成長で返してみるとかで良くて、手土産とかより土産話の方がいいこともありそうだ。
帰郷すると祖母や母が料理を振る舞い、あれを食えこれを食えと勧めてくる。寒くないかとかも聞いてくる。
あれはあれでお世話をすることに喜びがあるのだろうと思う出来事があった。人を頼ったら逆に頼られて誇りに感じるとお礼を言われたのだ。
困って自分ではちょっと難しいとか大変とかくらいで、困ったと友達にボヤいてもいい。救ってくれる人は救いたいという気持ちで接してくれる。
救われたらその場限りのお礼より、その恩を忘れてないよって伝えたり、困ったら言えよ?と別れの挨拶に付け加えるといいだろう。
先輩に奢られたぶん後輩に奢るみたいな安直で義務的な人間関係よりも
たくさん救われて、育った姿やお礼や大切に思う一言を添える。
そしていつか誰かを救えるチャンスが来た時、その人を救いたい気持ちに本当になったら救ってみたらいい。
きっと心地よいのだと思う。
車を運転していて道を譲るととても気持ちが良いよね。ハザードでお礼とかされると謎に聖人になった気分になる。
救う救われるはそんな時双方に利益をもたらすwin-winという等価値になる。
もう少し自分の弱さや拙さやダメさを許してあげて、救われることで人にむしろ何かを与えることが出来ると思えたらいいね。
酔いは覚めたが目も覚めて眠れない。
明日早いけれど…なんとかなるでしょう。きっと。
みんなもなんとかなってしまうかもくらいで生きてみてもいい…時もあるかもしれないね。