「強さ」とは、私であることを味わうこと 〜孤独の意味も、女であることの味わいも〜

私も夫も、三浦瑠麗さんが出演しているニュース番組は、自然と観てしまいます。多分私、彼女のことが大好きなんです。Twitterもフォローしていて、よく彼女の真似をして、長々と自分の考えを連続ツイートしたりしてしまいます。そのくらい、憧れの存在。

三浦さんは媚びません。私は彼女のそういう所が好き。朝まで生テレビなんかで、偉いおじさんたちが素っ頓狂なことを言い出すと、品の良い話し方で、理路整然と反論します。そして時々、まるで分からず屋の子どもに語りかけるみたいに、優しい言葉で諭します。それでも相手が堪えられずに感情的に持論なんかを語り出してしまうと、困ったように微笑みながら、こめかみに指を当てて首を傾げ、黒髪を揺らして斜め上を見上げます。その立ち居振る舞いは、「あなたちょっとおかしいこと言ってるわよ」っていうのを体現しておきながら、とても女性らしくて美しい。
難しい話はよくわからないんだけど、私はそんな三浦さんの姿が見たくて、あの長い長い番組を、眠い目を擦って見入ってしまうんです。

夫は仕事柄、政治や社会問題に詳しいので、一緒に見ながらああだこうだと解説してくれるんだけど、三浦さんの意見を否定すると私が怒るから、そういうときは慎重に言葉を選んでいるのが伝わります。フェミニストがどんな人なのかよくわからないんだけど、そういうとき、私は多分フェミニストなんだろうな、って思っています。

私にも憧れの女性は何人かいますが、テレビの討論番組に出てる女性の方に対して、こんな風に憧れることって今までありませんでした。
「どうしてこんなに強くなれるんだろう」
彼女の自伝を読んでいると、自然とその理由が伝わります。

この話をするにはまず「強さ」の定義が必要なんだけど、彼女は強いんじゃなくて、自分を受け入れているんだろうな、と。

三浦さんが語る「女であることの味わい」は、おそらく全ての女性に理解できるものではありません。あなた自身か、それともあなたの身近な女性を「女」として括ってこの本を手に取るのは危険です。私も半分は共感したけど、残りの半分は遠い世界のお話のように感じました。

この本に描かれているのは、「三浦瑠麗」という賢くて美しいひとりの女性が、「三浦瑠麗」を受け入れるまでのお話なのです。

生きていると直面する、堪え難い経験や、自分の存在のひとつひとつを、誰にも頼らずに抱え込みながら、時には見ない振りをしながら、受け入れていくまでのひとつの物語。

でもね、そうやって、苦しみながらも向き合うことに意味があるんだと思うんです。
私が私という存在を、あなたがあなたという存在を、受け入れて味わうことができたとき、自然とその人は生きやすくなるんじゃないかって。そういう人って、多分だけど、周りから見たら「強く」見える。

「孤独」について。男と女である以上、他人同士である以上、理解し合うことは不可能です。でもね、みんなんがみんな、私の全てを理解できないわけじゃない。じゃあ逆に、理解してもらえないのってどんな部分なんだろう。それが「孤独」なんだと思います。「孤独」も含めて私だから、たとえ最愛の人に理解されなかったとしても、それはそれで愛おしい。自分の「孤独」を理解したら、きっと今までよりも、もっと自分を大切にできるし「強く」なれるのではないでしょうか。

人は色々な悲しみを抱えて生きています。私ごときのちっぽけな人生にだって、それなりに苦労や悲劇はあったんです。でも、その意味を求めながら、精一杯に未来を目指して生きていくことは、とても強くて美しい。そんな勇気をもらいました。

「女」というと、差別や軽視などネガティブな感情を起源にしたお話と捉われがちですが、この本は男女を問わず全ての人が、前を向いて生きていくきっかけになり得る本だと思います。たくさんの方に読んで欲しいし、もし読んだ方がいらしたら、感想を伺いたいです。



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