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<書評>平成天皇の『道』から分かる、自分とは何か

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

先日、大分県・日田市に妻子と旅行に行ってきました。
前日に娘が小説を持って行きたいというので、市立図書館に借りに行ったのですが、娘が本を探している間に何を探すわけでもなく本を眺めて回っていました。

すると、平成天皇におかれる国事行為やそれに付随するお言葉、御製(和歌や詩文)、インタビューなど、ご活動の内容が記された『道 御即位三十年記念記録集』という本が目に留まりました。

上皇明仁さまご譲位前の平成最後の十年を記録したもので、献身的に支えられた上皇后美智子さまのお言葉も掲載され、国の象徴としての"道"についてのお考えに触れられる内容になっていました。

なぜこの本が目に付いたのかと言うと、先日老子の「道(タオ)」について取り上げていたからです。

天皇陛下はどのようなお考えで日本という国を想われているのか知りたくて、旅行のお供に借りました。

600ページ以上ある内容の濃い本で、気になったページを流し読みしましたが、国の象徴としてあるべき姿を模索された、上皇明仁さまのお考えから感じたことを簡潔に書きたいと思います。

象徴たる天皇としてのあるべき姿、それは「国民と共にある自覚を自らの内に育てる」ことだと、上皇明仁さまはおっしゃっています。

平成時代は、特に大きな衝撃と爪痕を残した「東日本大震災」を筆頭に、「阪神・淡路大震災」「鳥取県西部地震」「岩手・宮城内陸地震」「熊本地震」の5つの大地震が発生した災害の時代でした。

上皇明仁さま、上皇后美智子さまが、被災地で避難生活をされている方々のお見舞いに回れていた姿が思い出されますが、天皇陛下とは国民と苦難を共にし、国民を想い、信頼し合い、平和を祈ることが何よりも幸せなことだと語られていました。

天皇は西洋諸国に代表される王制ではないのです。国民ひとりひとりの傍らに寄り添う「道を共に歩む人」なのです。

このことが天皇陛下という平和の象徴たる務めだと、上皇明仁さまのお言葉からお察しし、上皇后美智子さまもまた、「象徴とは何か?」を記者に問われた際に、上皇明仁さまが模索されるお姿そのものだという旨をご回答されていました。

目の前のお務めに誠心誠意励むことこそが"道"だということです。

上皇明仁さまは、天皇という権力ある何者かになろうとしたのではなく、目の前のことを在るがままに受け入れ、国民のために象徴として何ができるか?ということを常に最大限考えられ、苦労を共にし模索され続けた中で今上天皇へ位譲されたということです。

道とは、答えもゴールもない、己が最善だと思うことに対して全力で生きることだということが、上皇明仁さまのお考えから僕なりに理解しました。

これは当たり前だと感じる人も居るかも知れませんが、国という大きな責務を抱えていない僕たちですら非常に困難なことです。

最大限の努力を払いつつも何者かになろうとしてはいけない、これを心に常に置いておける人は多くは無いと感じます。

何者かになろうとする意志は自我を含みます。自我を含む意志には私欲を含みます。

天皇というご存在は、自我から離れて国民本位で考え、国民のために平和を祈ることで、国魂として心を共にされることで幸せを感じられているということだと思いました。

これはまさに神心であり、天子たる天皇は神と等しいご存在なわけですね。

このことから、悟りを開きたいと思う人は、天皇陛下をお手本にされるのが一番の道だと感じました。

当たり前ですが、最も難しい道には間違いありません笑

悟りを開いたラマナ・マハルシは、「自分とは誰か?」という問いを続けた末に真我(開悟)に至りましたが、今回の上皇明仁さまのお考えから、自分など存在しないというのが答えだと感じます。

自分とは、自分以外の全ての存在であり、完全に同一の存在であることを悟った瞬間に真我の目覚めが起きるのでしょう。

これが仮に正解だとして、僕はまだ論理として理解したに過ぎません。

真我に目覚めることを目的意識に持つ内は悟ることはないでしょう。

行動と体験を通して、魂の深奥で悟る段階で真我に至るのだと、半ば確信を得ています。

それには、その人だけの道があるのです。

その人が、「これが自分の道だ」と信じる道を歩んで行く先にあるでしょう。

そうすると、天皇を含む偉大な先人から得る教訓も、参考でしかないということです。

答えは唯一の自分の道の先にしかない。80億人居れば、80億通りの悟りの道があります。

今回の件で、少しでも悟りに近づけたのなら嬉しいなぁ笑


あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊


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