手塚治虫不朽の名作「アドルフに告ぐ」が最高傑作と呼ばれる理由。ガチでオススメのレジェンドマンガ。
今回は手塚治虫の最高傑作との呼び声高い
「アドルフに告ぐ」をご紹介いたします。
手塚作品最高峰のヒューマニズムとも称される本作は
人間の暴走する理性がリアルに描かれています。
個人的にも大好きな作品で、好きすぎて何が凄いのか上手く説明できる自信がありませんが今回はたっぷりとその魅力をお伝えいたしますのでぜひ最後までご覧ください。
概要
本作は1983年1月より「週刊文春」にて連載された作品であります。
あらすじは第二次世界大戦前の1936年ドイツベルリン
オリンピックの取材でドイツにやってきていた新聞記者「峠草平」は
ドイツ留学中の弟が不審な死を遂げます。
警察に確認するとそんな事件はないと言われ、弟が住んでいたアパートに行くとそんな日本人は住んでいないと言われます。
弟の存在自体を消された真相を突き止めるうちに
弟はヒットラーの重大な秘密を知ったために抹殺されたことを知ります。
その重大な秘密とは、ナチスドイツを揺るがす一大スキャンダルでした。
ヒットラーの秘密に翻弄され運命を狂わされてゆく群像劇
スリル、サスペンス、ミステリーが交錯する一大スペクタル巨編
それが本編の大枠のあらすじとなっております。
理不尽すぎる悲劇
この作品は本当に手塚治虫のカタログの中でも最高傑作に位置するといっても決して過言ではない物凄いマンガです。
読後感がハンパなく
これを読んで呆然とした読者も多いのではないでしょうか?
とにかくストーリーがスゴイ!
エグイ!
文字通りストーリーがうねるし、人物関係もうねる、
とにかくうねり散らかします。
本当に読んだら止まらないし、これほどまでに「運命の歯車が狂っていく」という言葉が似合う作品もありません。
史実に沿って様々な謎が交錯する緻密なストーリー展開もさることながら
そこに人間の複雑な感情と抗えない運命が絶妙に絡み散らかして
最高級の大河ドラマになっているのですが
大河ドラマなんて安っぽい言葉を使いたくないくらい大河ドラマしてます。
主人公は特に存在せず、中心となる人物がどんどん変化していきます。
そのバラバラになっていたエピソードが少しづつ少しづつ繋がっていき、様々な伏線が回収されていき最後に収束していく構成の巧みさは見事。
これぞ手塚治虫の円熟の妙が味わえます。
サスペンスも一級品で手に汗握る展開が次々と繰り広げられ、
気づけば作品世界の中へどっぷりと引き込まれてしまいます。
舞台になっている第二次世界大戦前後の混沌とした時代背景が何とも言えなくて登場人物の誰もが理不尽すぎる悲劇に巻き込まれて行き
戦争と言う極限状態での不安定な人間心理描写がとにかくスゴイ。
子供時代を親友として過ごした2人の青年の絆が
環境の変化によって徐々に引き裂かれていくのですが
あんなに心優しかった少年がナチスドイツの教育を受けて変貌して行く様は恐怖を覚えます。
国家、民族、人種、イデオロギー、宗教など人間関係や友情を引き裂く要素がこれでもかと出てくるのですが「もう何なんコレ」ってなります。
マジで。
区分けすればするほど争いが増えるのに
人間ってやつは区分けするんです。
区分けしたがるんです。
そして自ら争い破滅していくんです。
特にこの「アドルフに告ぐ」では
人間関係をバラバラにさせる「それぞれの正義」が
センターピンになっていて
「正義」を掲げる者同士が争い、傷つき、破滅していきます。
「正義」とは一体なんなのか?
誰もが目指そうとする理想の姿のはずなのに
作中では正義を振りかざすほど様々なものが崩壊していきます。
友情の崩壊、人間関係の崩壊、理性の崩壊そして国家の崩壊と
多くの人間たちがその「正義」に翻弄され
あらゆるものが崩れ去っていきます。
この矛盾した対比描写は手塚先生の得意とするところでもあり
特に「アドルフに告ぐ」においては
その卓越した表現の最高到達点に達したと言ってもいいでしょう。
連載後の手塚先生のコメントにもそれが見て取れます
とコメントにもあるように正義の正体、
手塚流の解釈がこの「アドルフに告ぐ」には描かれています。
脆くて陶酔しやすくて
そして暴力をも肯定させる危険性を孕んだ
正義の取り扱いについて
本作のメッセージは
「正義を暴走させてはいけない」
と手塚先生は結論づけているとボクは思っています。
手塚先生は一時あのヒットラーのことでさえ正義だと感じてしまうときがあったそうで様々な要素によって形を変えてしまう「正義」に懐疑的になっていたとことがあったようです。
だからだと思うのですが
本作では様々なセリフに「正義」という言葉が使われています。
色んな登場人物が、色んな意味で「正義」というセリフを使います。
「正義」とは一体なんなのか。
明らかに読者に問うように意図的にそういう言葉を使っていると思えます。
それが確信できるのがラストにポロリとこぼす
峠草平のセリフ…
まさにこの一文が本作のテーマを代弁しているのではないでしょうか。
手塚先生は「正義」という言葉を通して
自身の想いを読者に投げかけたのだと思います。
本作の真のテーマ
ですから「アドルフに告ぐ」は
単なるユダヤ人可哀そうという物語ではありません。
一部では処刑や拷問、性的暴行などの描写が過激だと問題視して
「各小中学校の図書室に置かれているのは不適切」
との抗議を市民団体が行っているらしいですが、
何を言ってるんだ!
…と言いたい。
ちゃんと最後まで読んだのかと。
不適切どころかむしろボクは超一線級の歴史教材だとすら思っています。
子供たちにとっても
「大人はなぜ戦争ばかりするのか」を知る最高の教材とも思っています。
そして処刑や拷問描写にも目を背けるのではなく向き合った方が良いこともあります。それこそ過去の世界史を見ても人類はこれまで残虐極まりないことをしてきましたが現代では同じことはしていません。
それは人類が過去から学んだからです。
今でも絶えずどこかで戦争は続いていますが、それでも目を背けるということは学びや反省の機会を奪うことにもなり得ます。
「差別」テーマにしても同様で目や耳を塞ぐよりも
もっと子供たちの理解力を信じてあげるべきことの方が大切だと思います。
そもそもアトムだって「差別」物語ですし
手塚マンガにはこれまで多くの「差別」テーマが描かれてきました。
初期手塚作品の読者たちはそれらに触れて大人になっています。
マンガから学び取れるものはそれこそ沢山あって
実際にボク自身も「アドルフに告ぐ」で知った歴史認識が多々あります。
ナチス、虐待、迫害、ユダヤ人など学校で教わる前に知りました。
そして本作の優れているところのひとつには
ヒトラーが倒れたところで終わらず
その後の世界もちゃんと描かれていることです。
これは他の本ではなかなかありません。
迫害を受けていたユダヤ人たちがナチス崩壊後、
自分たちの祖国をパレスチナに建国します。
これが今のイスラエルです。
そしてそれを国連も認めます。
…ですが、元々パレスチナにはアラブ人が住んでいましたから
アラブ人にとってはたまったものじゃありません。
そう簡単に受け入れるわけがないんです。
当たり前です。
今度はユダヤ人が侵略者としてアラブ人との果てしなき抗争に入っていき、また同じような連鎖が続いていくのです。
そしてここでもそれぞれの「正義」がぶつかり合っています。
ここまで読んでもまだ「ユダヤ人可哀そう」という感想しか出てこないとするならあと100回読んでみてください。
「アドルフに告ぐ」の真のテーマが「ユダヤ人可哀そう」という事ではないことがはっきりと分かるかと思います。
体験したことのない価値観を知るには歴史マンガはめちゃくちゃ参考になります。むしろこれまでに触れた事のない出来事や歴史に数多く接することです。だから隠すなんてもってのほか、
それこそ擦り切れるくらいにこすり倒して欲しいと思っています。
「アドルフに告ぐ」は十分にその一端を担う作品であると思いますし
マジで全小学校の図書室に置いておくべき歴史マンガでもあるとすら思っています。
手塚治虫が本作を通して伝えたかった「正義」の解釈
ぜひ一度ご自身の目で、見て感じて頂きたい一作です。
こぼれ話
さて、ここまで作品内容についてご紹介してきましたが
ここからは制作の裏話をいくつか触れていきます。
①「並行作業をほとんどしていない」
いくつもの仕事を掛け持ちすることで有名な手塚先生ですが
「アドルフに告ぐ」執筆中には同時連載はなく、読み切りを2本描いただけという極めて稀な期間でありました。
晩年でさえ3本の連載を抱えていましたから本作一本に集中できたという意味では奇跡の作品と言えます。
…と本人が言っているように先生は途中で飽きちゃうことが多いです(笑)
ですから未完で突然終わったり展開が急変することが多々あるのですが
本作は腰を据えて集中して描いていただけあって
しっかりと完結していますし、やはりそのクオリティはハンパありません。
間違いなく並行作業をせずに書いたからの傑作と言えます。
②「奇抜なコマ割りが無い」
コマ割りと言えば手塚治虫といえるほど大胆なコマ割りが有名な手塚先生ですが本作ではその片鱗が微塵もありません。
むしろ抑制の効いた整然としたコマ割りが特徴になっています。
これは連載雑誌が「週刊文春」だったことが大きな理由と思われますが
おふざけのないシリアスな展開は物語に非常にマッチして重厚感を増す要素にもなっています。
ヒョウタンツギも一回しか出てこないという実は非常に珍しい作品のひとつでもあります。
ぜひレアなヒョウタンツギを探して見て下さいね。
③「変身=メタモルフォーゼ」
変身という魔力に憑りつかれた手塚先生は作品の中にほぼ確実に変身する要素を入れてきますが本作では姿を変えるような変身シーンはありません。
ではどのような変身シーンを描いたのか。
ここまで見て下さった皆さんならお気づきかと思いますが
「精神のメタモルフォーゼ」
人間の心理の変化を見事に描いています。
これまでの表層的な移り変わりではなく内面的な変容
しかもそれらを重層的に折り重ねてさらに屈折させていく変化ですから、
ある種で最も手塚治虫らしさの出たメタモルフォーゼと言えるのではないでしょうか。
「精神の変容」本作の核になる部分です。
⑤「タイトルのこだわり」
手塚先生はタイトルに、ほとんどこだわりがない作家で
たまたま「いんこ」を飼っていたので「七色いんこ」とつけた漫画もあるくらい適当なネーミングが多いです。
考えるのが面倒なのか、多くがキャラクターの名前をそのままつける傾向があります。しかし今回は珍しくタイトルに「ヒネリ」を加えています。
「告ぐ」の意味するところ、誰がアドルフに何を告げるのか
最後にそれが明らかになるのですが、
カミルに呼びかけるビラのタイトル
峠草平の小説のタイトル
どちらにも解釈できてしまう意味深なタイトルであります。
その他にも、もしかしたら別の解釈ができる誤読の余地を残したタイトルは
手塚作品において珍しい作品のひとつと言えます。
おまけの余談ですが
当初、手塚先生はゾルゲに非常に興味があり
本作の主人公に据える予定もあったそうです。
ゾルゲと言えば
日本最大のスパイ事件で処刑されたあのリヒャルト・ゾルゲです。
このゾルゲ事件の凄まじさは
ゾルゲの協力者に「尾崎秀実」という人物がおり何を隠そうこの尾崎とは、なんと近衛文麿内閣のブレーンであり最上層部の最重要人物でありました。
日本の政権中枢にいる人物がスパイだったという前代未聞の日本国家を揺るがす大事件が起きたのです。
後に2人は軍事機密に対する様々な違反で処刑されるのですが
手塚先生はこの尾崎秀実の異母兄弟である尾崎秀樹にも取材に行くなど
当初はゾルゲを中心とした物語を描く予定でありました。
しかしその後、
ヒトラーに構想を変えて現在の「アドルフに告ぐ」に至るのですが
そのなごりで作中にもゾルゲが実名で出てきますし
スパイに絡めたストーリーを本編の一部で見ることができます。
「奇子」の時も実在する「下山事件」を題材にストーリーに折り込むなど手塚先生はこういうこと結構やってくるので
ぜひその辺りも注目してみると面白いかと思います。
あとは本編の内容以外になりますがマンガとして初めてハードカバーの一般書籍として販売された作品でもあります。
表紙にマンガのイラストがないのも異例で発売当時は書店に強烈なインパクトを与え瞬く間にベストセラーになりました。
そしてその話題を特集するテレビ番組まで放映されるなど当時としては画期的な作品として取り上げられています。
後に文庫版も発売されこれもベストセラーになります。
マンガをマンガ本以外の形態で読むという習慣がついたのは「アドルフに告ぐ」からと言われており出版業界にも大きなインパクトを与えることになりました。
このように「アドルフに告ぐ」は手塚治虫のキャリアの中でも
特異な立ち位置にあり特別な作品であったことが分かるかと思います。
今この時代だからこそ改めて読んで欲しい一冊ですし
手塚治虫の渾身の一撃と言える作品を是非手に取ってみてください。
最後に手塚先生の残したコメントをご紹介してお別れします。