手塚医療漫画の傑作「きりひと讃歌」はこうして生まれた!
今回は手塚医療漫画の傑作「きりひと讃歌」をご紹介いたします。
ブラックジャックの原型とも言われる本作には医者手塚治虫が描く
医学会の闇が鮮烈に描かれております。その闇に翻弄される主人公の
目を覆いたくなるショッキングな描写が数多くあるにも拘わらず
傑作とよばれる所以はなんなのでしょうか。
その魅力をたっぷりと解説いたしますので
是非最後までお付き合いください。
本作は1970年4月から「ビッグコミック」に連載されました。
あらすじは
人間の顔や身体が犬のような外見になり呼吸困難を起こして死んでしまう謎の奇病「モンモウ病」の調査に乗り出した主人公医師「小山内桐人」
発祥地へ調査に向かうと彼自身がこの病気に感染してしまいます。
この奇病を風土病と考える小山内に対し、
大学病院の会長選を控えた恩師である竜ヶ浦教授は伝染病と言い張り見解の違いによりその主張は封殺されていきます。
教授との対立の内に小山内はいつしか医局から抹殺され
その醜い姿のため人間扱いされず海外へ見世物として売られてしまいます。
金持ちの見世物にされ行く先々で苦難を強いられる小山内
犬のメスと交尾させられそうになったり、縄や鎖で縛られ引きずり回されるなど人間の尊厳をズタボロに引き裂かれます。
人生の絶望の中で実はこの感染が大病院の陰謀であるということを知り
医局に立ち向かう決心をした小山内
権力の波に飲み込まれ人間の尊厳を失った彼が
どのように復活を遂げるのか?
そしてラストに待ち受ける運命とは一体?
というのが大枠のあらすじとなっております。
ご存じ医者でもあった手塚治虫が描いた医療の世界
医学会の権力闘争、陰謀、差別、裏切りとドロドロの人間関係を描いた
社会派ドラマは読みだすと手が止まりません。
「このドラマを描かずして医療現場を語れない」
と先生自身語っているように地位、名声、名誉を守るためだけの封建的な
医学会の権威主義に対する厳しい批判が本作のテーマのひとつにあります
そしてそれらをベースに奇病「モンモウ病」を絡ませることで
単なる病院だけのドラマではなく手塚節全開の医療ドラマになっており
病院内で繰り広げられる魑魅魍魎の世界と並行して
謎の奇病に感染した主人公の受難を通して「人間とはなんだ?」ということを深く考えさせられるストーリー展開は圧巻。
外見が人間でなくなったというだけで人間扱いされないシンプルにして強烈なテーマは分かりやすくそして鮮烈な印象を残します。
これまでの手塚作品のようなPOPさは微塵もなくず~~~っと重苦しいダークな展開が続き生々しい残酷シーンも多くマジでアングラな雰囲気が漂い散らかします。
変身、メタモルフォーゼは手塚マンガの十八番ですが
本作はよりリアルにしてグロテスク。
異形の姿である悩み、苦しみを訴える姿は読む者の心を容赦なく貫きますし
圧倒的な絶望感に打ちのめされます。
あまりにもショッキングな描写が故にトラウマ級の絶望感を持つ読者もおられるのですがこの絶望感こそが本作の魅力のひとつです。
その最大の要因が主人公を永遠に苦しめる醜い姿。
人間としてのアイデンティティが奪われていく描写はこの姿なくしては成立しません。
連載当初「人間が獣に変化する」というコンセプトは
編集部からは「バンパイヤ」のような変身だと思われており
掲載誌の作風に合わないのではないかと心配されていたのですが
蓋を開けたらSF的な変身ではなく劇画調のリアリティある変身、そしてそれは病であるという大人の鑑賞物として耐え得るメタモルフォーゼとして仕上げてきたのは流石です。
間違いなく本作が劇画タッチだから成立しているところであり
これまでのような「バンパイヤ」風のタッチであったら物語の内容が全く異なった印象になったことでしょう。
後で説明しますがこれまでになかったこの劇画風タッチが本作の最重要ともいえるポイントで後の手塚作品にとっても非常に大きな意味を持ちます。
その基点ともなった本作は手塚治虫の新たなマンガの力を浮かび上がらせたターニングポイントな作品になりました。
事実この劇画描写によって圧倒的に発信できるメッセージが増えましたし
先生自身もこれ以後、より深く重厚なドラマ作品を多く発表していることでも伺えます。
ただこの新しいスタイルもこの時点ではまだ完成されておらず
荒々しさが目立つのですが、かえってその不均衡さが本作では不気味な雰囲気を醸し出しています。
いきなり飛び出してくる超絶劇画調のドアップや、はっきり言って一目見てもなんのこっちゃさっぱり分からない手塚先生らしい実験的な描写も
数多く見られ斬新すぎてついて行けないところもあります。
しかしこのマンガ表現の可能性を追求した実験的な描写が本作では
人間の微妙な心理描写と相まってより印象的な読後感を残します。
占部の自己嫌悪と茫然自失となる心理を
無言の絵とコマ割りで表したところはかなり刺激的ですし
占部がヘレンを襲う場面でも同様に露骨な性描写ではなく民俗的、宗教的カットが入ることで形容しがたい狂気を感じさせます。
これぞまさに映画でもなく小説でもないマンガ特有の表現ですよね。
このマンガ表現の多様性にも果敢にアタックしていたところを見ても
手塚先生自身がフォームチェンジしようとしているのは誰の目で見ても明らかですし意識的に何かを変えようとしている感がヒシヒシと伝わってきます
この変えようとする意識はその他のところでも見られ
「ヒョウタンツギ」が一度も出てこないのも特徴です。
シリアスであればあるほどアクセントとして登場するあのキャラが一度も出ない非常に珍しい作品です。
あと「スターシステム」も採用されていないかなりレアな作品です。
ここまで見ただけでも本作が明らかにこれまでと異質であるかが分かるかと思います。
なぜそれほどまでに新しいスタイルにこだわったのか。
実は1960年後半は
これまで手塚治虫が牽引してきたマンガ界が大きく飛躍の時を迎えました。
この時期には続々と青年誌が創刊されストーリーマンガがよりリアルに表現されるようになり、社会、政治、性的描写などあらゆる表現の幅が可能になり格段の広がりをみせました。
それと同時に読者の年齢層を押し上げ年齢性別に関わらず多様な、読者層を取り込んでいきマンガに触れる人口も飛躍的に増加しました。
この変革に対し手塚先生はこれまで少年誌での功績がある身でありながら
この劇画市場にも乗りこんでいくためにスタイルの変更が必要だった訳であります。
青年誌の創刊と共に手塚先生も青年誌へ執筆を始めたのが1968年
「ビッグコミック」創刊と同時に「地球を呑む」「IL」と立て続けに大人マンガを連載するも人気が出ずあえなく撃沈。
「やはり手塚は青年誌ではダメなのか」
と思われた次作
その本領を発揮したのが第三作目の本作「きりひと讃歌」であります。
絵柄そのものは少年誌の雰囲気を残しながらも見事なアップデートを遂げ
これまでとは明らかに違う手塚劇画の誕生と言える意欲作となりました。
「きりひと讃歌」発表の1970年と言えば虫プロ経営問題のトラブル、劇画の台頭に悩まされており手塚先生の大スランプ時期と呼ばれていた時代。
この暗黒時期に変革をやってのけるのはまさに超人的。変態の所業。
ちなみに
このスランプ時期とは一般的には手塚先生自ら「冬の時代」と語った1968年から1973年のことを指し1970年はちょうどその中間に位置しています。
ただそのラインナップを見てみると、これが面白い。
まず1970年時点で連載中の作品は
「海のトリトン」「冒険ルビ」「空気の底」「IL」
「ザ・クレーター」そして「火の鳥鳳凰編」。
ここから、1月
「聖女懐妊」「ガラスの城の記録」連載開始、
どちらも猛烈な闇を抱えた爆裂作でスランプの兆候が滲み出ています。
2月
ニセモノの世界を描いた短編「赤の他人」執筆
これも世の中の誰も信じられない鬱状態を良く表した短編です。
3月
「ロバンナよ」執筆
こちらも誰が本当の事を言っているのか分からない変態サスペンス短編
続く4月10日に「きりひと讃歌」の連載を開始するのですが、
その直後の
4月15日「やけっぱちのマリア」
4月26日「アポロの歌」の連載開始と
医学会の闇を切り裂いた超問題作の裏で「性教育」マンガを2本書くという
精神分裂も甚だしいぶっとんだ仕事をしています。
ドギツイ劇画を描いているおっさんと小学一年生の性教育を描いているおっさんが同一人物ですからね。マジでビビリます。
このレンジの広さは圧倒の一言。
さらに同月に「時計仕掛けのりんご」「アバンチュール21」の連載も開始。
5月
「人間昆虫記」連載
目的のためなら誰とでも寝る大人の女性が主人公という社会派作品を執筆
ここら辺からさらに気持ちいいくらいダークが加速します。
7月
「アトムの最後」執筆
悶々とした手塚先生の想いがついには「アトム」にまで飛び火して凄まじいアトムの最後がここでは描かれています。
9月「ボンバ」「ふしぎなメルモ」連載。
己の憎しみ、憎悪をぶちまけるというマンガを少年誌で描いた手塚作品中最高クラスに暗くおぞましいダーク作品と
幼年向けの性教育マンガを同時に描くと言うもはや意味不明の精神状態。
しかもこの年に3本目の性教育マンガというハイペース。
手塚治虫の本当の凄さはスランプだろうが何だろうが量産できるという才能が傑出していたこと。
この比類なき想像力と精神力と体力、常人では太刀打ちできない才能です。
そして10月に
火の鳥「復活編」開始。ここまで陰鬱なものが連発してきた中で
火の鳥の最高傑作とも呼び声高い「復活編」をここで執筆開始。
冒頭の無機物に見えちゃう描写なんかはもしかしたらこの時期の手塚先生の鬱体験が元ネタになっているんじゃないかと思えるくらいの大傑作がこの陰惨な時期に誕生しているのも興味深いです。
12月「アラバスター」
手塚先生本人も「見たくない」と言わしめたダークホラーの傑作がここで登場。この時がどん底のピークだと先生自身回顧されているように美しいものを次々と破壊していくイカれたマンガを描いていた手塚先生の精神状態が正気でなかったことが分かります。
このように怒涛の1970年に描かれた「きりひと讃歌」
人生に絶望する描写や「生きる意味」を問う救いようのない展開も
先生自身に言い聞かせているんじゃないかってほどリンクしており
自分は一体何を信じて生きて行けばいいのか
自分が存在することの意義を作風と惑星直列するかのように映し出されて、明らかにこの時代を通過したことで誕生したマンガであることが分かるかと思います。
実際の社会情勢でも
光化学スモッグ、ヘドロ汚染などの公害、薬害が社会問題になっていた時代で作中の風土病と伝染病の対立もキノホルムが原因のスモン病からヒントを得ています。
「薬害スモン」とは当初、原因不明の奇病や伝染病ではないかと言われておりましたが1970年に薬害が原因であることが明らかとなり
製薬会社とその使用を認めた国の責任が問われた薬害事件であります。
伝染病説が原因で患者が差別された事実、社会的な偏見を受けた実例を
見事に作品に落とし込んでいるのは流石の一言。この辺りのミキシングは手塚先生の得意とするところですね。
余談ですが「モンモウ病」発祥地の徳島県の山奥は手塚先生が大学を卒業する際に最初に赴任の話があった場所で
もしかしたら医者手塚がスタートしたかもしれない曰くの土地であります。
という事で手塚先生のスランプに病んでいた時期と劇画タッチへの変革時期
そして公害の社会問題に医者手塚治虫の経験値などあらゆる要素が絡み合い誕生した作品が「きりひと讃歌」であります。
本作の見どころは本当に沢山あり
医療の在り方、医学界の古い体質と封建的な人間関係、勢力争い、出世欲
偏見差別、愛憎物語、
そして人間とは、生きるとは、幸せとは…など
とにかく手塚治虫が問いかける問題提起が多くあらゆるモノの見方ができる多面的エンタメ作になっておりあらゆる年齢層にリーチできる傑作です。
火の鳥シリーズに匹敵するくらい重厚且つスペシャルな作品でもあります。
偏見による理不尽な差別、絶望的にやるせない不幸
ほとんど救いようのない展開なのに凄みを感じざるを得ない読後感は
マジでなんかの文学賞をとってもいいくらいの読み物ですし間違いなく医療漫画の傑作です。
医療漫画好きの方なら間違いなく必読の一作。
作者がスランプの中で必死にもがいて生まれた奇跡の作品
「きりひと讃歌」是非一度お手に取って読んでみてください。
最後にオリジナル版ご紹介しておきます。
全集版では削除されてしまった60ページを完全収録した完全決定版
単行本化の際に手を加えられた大幅な構成の修正やネームの変更も含め、
雑誌掲載時のオリジナルのまま収録されております。
執筆当時の手塚先生の息吹が感じられる完全オリジナル版ですので
ちょいとお高いですがファン必見の陶酔アイテムとなっております。
ではでは。