なるようになる

 「なるようになる」というのはトートロジーで、情報量が0だ。トートロジーというのは常に正しい。

 古代ギリシャの哲人 パルメニデス「あるはある、ないはない」これも正しい。あるものはあり続けて、ないものはないままなので、運動は存在しない。

 今目の前にPCがある。「今目の前にPCがある」というのは「今」という時にとっては常に正しい。右を向けば「今目の前に窓がある」になる。
 「今」という時の「内容」が変わるだけで「今は今である」というトートロジーが続く。そして「今」の「内容」も、「その今」にだけ目を向ければ「その内容はその内容である」というトートロジーになる。

生も一時のくらゐ (位)なり、死も一時のくらゐなり。たとえば冬と春のごとし、冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり

正法眼蔵

 「今は今である」というのが言語化できるギリギリっぽい。トートロジーだから疑いようがない。「なるようになる」というのは端的な真理であって、それ以外に人間のありようは存在しない。それが「ハッキリ」すると、救いになる。だってそれしかありようがないから。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

良寛

 

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げんにび
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