歴史について何も知らない
歴史について何も知らない。興味がなかった。「変わらないもの」を探していたから、有為転変で、一回性である「事実」や「物語」などに、一切興味がなかった。「変わらないもの」が見つかったので「変わるもの」の勉強もし始めたのだが、涙が出るぐらい面白い。
歴史については中学生の頃に習った日本史と、ナビゲーター世界史という参考書程度の知識しかない。西洋哲学や仏教をやる過程で、時代背景にも触れざるを得ないので、ヨーロッパやインド、中国日本あたりはなんとなく知っているが、本当になんとなくだ。
哲学や思想といった「変わらないものみたいなもの」はあらかた読みつくしてしまったので「もう全部読んだから読む本なくなった」と友人にこぼしていた。大間違い。井の中の蛙。アホ。バカ。中国の歴史のさわりを学んだだけで、圧倒された。広いしデカい。「絶対に学ばなければならない」と直観した。大切なものが絶対にたくさんある。しかも震えるほど面白い。三国志とか読んだら悶死してしまうかもしれない。
歴史書などは詳しくないが、本屋でよく見る「ローマ人の物語」などは43巻あるらしい。ヤバいでしょ!今調べたら歴史書ではなく歴史小説だという批判が多いらしいが、まあ入門なら歴史小説で充分だろう。「ワクワク」ってこういう気持ちのことを言うんだ…。
古代のギリシャやローマを学ぶことで、ヘーゲルやニーチェ、ハイデガーなどの読み方も変わってくる。あといわゆる「近代小説」ではない古典を読みたい。中国四大奇書というのがあり、西遊記、三国志、水滸伝、金瓶梅のことを言うらしい。絶対に面白い。文学部の人に「なぜ日本の現代小説ってつまらないの」と聞いたら「作者が古典を読まないから。小説を読んで小説を書いてるから」と言っていた。真偽は分からないけれど、そうなのかもしれない。
中国、日本、ヨーロッパ、アメリカ、中東、インド、アフリカ等々。しかも歴史の本って安い。哲学書とか仏教書って需要がないから凄く値が張る。歴史の本は、安いし、死ぬほど面白いし、学ぶことがたくさんある。ヤバいでしょ!
今、勉強をする目的は「楽しい」と「仏教を現代人に分かりやすく書きたい」という動機がある。楽しいの比重がデカいのは否めないが、後者も頑張りたい。マクロなスケールで物事を見ると、本質が見えることはあると思う。
「栄枯盛衰」という言葉があるが、古代中国を見ていても、文化って山なりになるんだ、という発見がある。芽が出て、花が開き、ヘンテコになって死ぬ。そして復古運動がある。
釈迦が生まれる。仏教が栄える。エリート主義でヘンテコになる。そして大乗仏教という復古運動がある。
プラトンがいる。近代哲学が栄える。ポストモダンでヘンテコになって死ぬ。復古運動は未だに見えない。
絵画がある。印象派やシュルレアリスムなど素晴らしい芸術が生まれる。現代アートでヘンテコになって死ぬ。今はインテリが死体で遊んでいる。
ちょっと急に毒づくけれど、文化ってインテリが破壊するんじゃないか。芸人の永野が「今のサブカルはインテリが戯れてるだけ」と言っていて、まあそうだと思った。本当にヤバいのはなくなった。小乗仏教もエリート坊主、ポストモダン哲学も大学教授、現代アートも芸大出のエリート。みんなでワイワイ楽しんでいたところに、理論バカが現れて、小難しくして死んでいくんだろうか?
仏教を広めたいのどうだの言ったけど、とにかく歴史という分野が開けてとっても楽しい!という僕が楽しいものを見つけたという記事でした