「引用」について
手始めに一つ引用をやらかさないと、精神が動き出さないような思想家は、眉唾ものである。
僕は引用癖を咎められることがあるのだけれど、引用が悪いことだとは全く思わない。人は「権威」にはどうしても弱く「子曰く」で始まる文章は無条件で肯定してしまう。
しかし個人主義でクリエイティブ志向の強い現代では、このような意見も出てくる。
ニーチェとかゲーテの言葉引用しないでよ!
知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ!
自分の言葉で語ってよ!
ただ、あの孔子はこう言っている
子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。窃に我が老彭に比す。
孔子は古の言葉を述べただけで、何も作っていない。つまり引用しかしていない、と自分で言っている。
僕は「オリジナリティ」というものを信じておらず、つまりこう思っている。
私がなにも新しいことは言わなかった、などと言わないでもらいたい。内容の配置が新しいのである。 ジュー・ド・ボームをするときには、一方も他方も同じ球を使うのだが、一方の方が上手に球を送るのである。
それと同じように、私は古い言葉を使ったと言われるほうがうれしい。 同じ言葉が異なった配置によって別の思想を形づくるのと同様に、同じ思想でも 配置が異なれば、別の論旨を形づくるのではなかっただろうか。
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