理想的な読書とは何か

 「生死の一大事」を解決するために読書をしていた。哲学やら文学やらなんでも読んでいたのだけれど「真理」を探しながら読んでいたので、あまり楽しくはなかった。そして本の中に真理はなかった。
 仏教に手ごたえを感じてからは、「見つけるための読書」ではなく「楽しむ読書」になってきた。もともと知識に並々ならぬこだわり行動があるので、勉強系の本も楽しいのだが、歴史の本や文学の本も楽しめるようになった。最近読んだ本でいうと「クララとお日さま」が本当に奇跡的に面白かった。最近は東洋医学系や気功の本を読んでいるが、中国の歴史にも興味が湧いてきて、陳舜臣という作家の「中国の歴史」というシリーズを読んでいるのだけれど、全然飽きない。全7巻あるので友人には「頑張れ」と言われたが、作家の力量もあると思うけれど、本当に面白い。

 理想的な読書というのは「壊れていくこと」だと思う。「積み上げる」読書というのは多分あまりよくなくて「我見」や「偏見」が崩壊していく読書が良いと思う。例えば先月に読んだ人類学の本では「人格」という概念が疑われていて、ある部族では「土地とその人」をまとめたようなものが「人格」と呼ばれるらしい。全く想像ができない。多分愛国心とか地元愛とかより土地と一体化している。
 小室直樹の中国原論という本を最近読んだが、中国人は「幇」というコミュニティがなにより大事らしい。三国志の劉備と関羽と張飛を思い出すと分かりやすい。本物の家族より強い絆、生命よりも強い絆、絶対的な絆が幇であるらしい。日本人には考えられない。

 我見というのは風土、思想、人格、知識によって壊れていくと思う。旅行でも壊れるし、演説でも壊れるし、人格に感化されるし、知識でも壊れる。インドに行けば人生観が変わるとよく言われるが、本当にそう思う。

 「ボクの考え」を相対化していくことによって「ボクの考え」を小さくする。「ボクの考え」が小さくなると、その分「隙間」ができる。「想像力」という「優しさ」は、その隙間に宿る。

 僕が現代日本の小説をつまらないと思うのは、「当たり前」のことが書かれているからだと思う。人気の小説のレビューに「共感できた」とか「自分のことかと思った」などの意見が見られるが、僕はそういう小説を読んでいてもあまり面白くない。がんがんぶっ壊して欲しいと思う。

 やし酒飲みとか、百年の孤独とか、アフリカやラテンアメリカなどの全く馴染みのない地域の小説は結構壊れる。

 知らないことがまだまだあるから楽しみだな。もちろん知識は役に立つこともあるけれど、ほんの一部だと思う。いろんな知識をつけて、いろんな角度から仏教を言葉にしたいという気持ちもある。
 「積み上げる知識」の弊害は他人を見ていても思うし、自分を見ていても思う。傲慢になる。上に書いたのは理想論だが、そういう読書を心掛けたい。自戒で書いた記事だと思う

ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔をしてはいないものである。
自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。

新美南吉

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げんにび
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