哲学 瞑想 近代 歴史
半年ほど読書をしていなかったのだが、最近再開している。死ぬほど楽しい。
西部邁の「虚無の構造」と「保守思想のための39章」を読んだ。あと「存在と時間」と「ニーチェの道徳哲学と自然主義」を読んでいる。
西部の本は、虚無について伝統や保守という立場から語っていて面白かった。僕もセックス、スポーツ、スクリーンが虚無主義を招いたと思っているので、保守思想は普通に勉強したい。バークやチェスタトンなど。それに加えて、僕は中卒で歴史を全く知らないので、昭和、大正、明治、江戸の「世相」を勉強したい。幸いにもそういった本が安価で手に入るっぽいので、買って読みまくりたい。
ニーチェの道徳の系譜学を読んでいると、僕からは「歴史」というものが全く欠落していると痛感した。存在と時間も歴史にコミットしろみたいなことを言ってる。あまりにも「普遍」を求めすぎた結果「無常」という原理に突き当たるしかなかった。
トー横のネット版みたいなところに昔から常駐しているのだが、なんでこんなことになったのか知りたい。僕は家族制度が壊れたからだと思ってるけれど、江戸時代から平成、令和までに、西洋の個人主義が家制度をどういう風に破壊してきたのか追ってみたい。もちろん家があったらあったで窮屈で病む人がいるだろうが、孤独が一番ツラい。思想的には、マイケル・サンデルを擁護しながら、ロールズを批判するみたいなことになりそう。
弱者男性問題も僕にとっては結構デカく、男尊女卑がどうしてこうなったのかも知りたい。竹村和子とかバトラーみたいなフェミニズムの本も読んだことがあるんだけれど、精神分析を参照していて、ウンザリした。左翼は「理念ありき」だから、現実を無視した虚構の理論を構築するしかないのだと思う。僕は障碍者の男性だから、弱者ヅラをして左翼に乗っかるのが楽なんだろうけど、左翼はルサンチマンだから好きになれない。
最近はまた文学にも興味が出てきた。特に三島由紀夫に興味がある。僕は中卒なので、時代背景を無視して「普遍」の立場から小説を読んでいたが、普通は時代背景とかを考えながら読むのだと思う。小説って退屈だな~と思っていたが、近代人の襞が書かれていると思うと面白い。19世紀、20世紀の人間の風俗がどんなもんだったのか、知りたい。
ここからが本題なのだけれど、自分の瞑想実践と、こういう知識欲をどう調和させたらいいのか分からない。目標は「24時間瞑想状態」なのだが、本を読んでいるとどうしても没頭してしまう。簡単な本なら瞑想しながらでも読めるが、存在と時間ぐらいになると、瞑想しながら読むのは難しい。恋人が本を大量に買ってくれるらしいので、多分興味のある本を買い漁るのだが、瞑想と読書の相性が悪い。釈尊もラジニーシもクリシュナムルティも知識を捨てろと言っている。「知り、考えること」って宗教的にはよくないんだろうか?
僕のASDは間違いなく「知り、考えること」に向かっているので、やめられそうにない。死ぬほど瞑想をやって、瞑想状態でも本を読めるように頑張ろう